ヤスミン・アフマドの世界(2)

先月のことになるが、マレーシア映画文化ブックレットの「ヤスミン・アフマドの世界」の第2弾を刊行した。
http://malaysia.movie.coocan.jp/publication.html
今回の対象は『細い目』『グブラ』『ムクシン』の3つ。『細い目』は中華関係の参照が多いのでその筋の専門家のみなさんに特にご活躍いただいた。今回はそれに加えてタイ音楽についての記事もある。『細い目』にはタイ語の歌が流れるシーンがあって、タイ映画で使われた歌かと思っていたら、なんとヤスミン監督の依頼で『細い目』のために作られたオリジナルの歌だった。寄稿してくださったのは、タイ映画に詳しい以下のページの主宰者。
SIAMESE INDY
今のところマレーシア映画文化ブックレットは店頭販売していないので、映画祭や上映会の会場に置かせていただく方法で販売している。都内あたりでどこか置いてくれるお店があるといいのだけれど。
今年度のブックレット刊行はこれで打ち止め。ヤスミン作品は『ムアラフ』『ラブン』や短編が残っているので、4月以降に検討する予定。映画祭などでブックレットを購入した人たちがその場で一言二言くださるコメントが次の号を出す原動力になる。


この半年ほどの間にヤスミン作品の上映に2回参加した。1つは大谷大学の『ムアラフ』、もう1つは国立民族学博物館の『タレンタイム』。
大谷大学は土地柄からかお坊さんのような雰囲気の方が多くて、キリスト教イスラム教がテーマの『ムアラフ』をどう観たのか上映後に感想を聞いてみたかったけれど、Q&Aなどがなかったので残念。
民博の『タレンタイム』は、何度観てもいいと改めて思った。でも、民博で上映されたフィルムは途中で2箇所カットされていた。カットされた部分に特別の意味はなかったと思うので、内容のためにカットされたわけではないと思う。主催者に伺ったら、意図的なものではなく借りたままのフィルムを上映したということだった。どういうことだろうか。それから、スクリーンの都合なのか画面の上が少し切れていたので、メイリンがピアノを弾く場面でビッグフットの骨がほとんど見えなかったりもした。この場面のビッグフットはけっこう重要だと思うので見られず残念。
さすが民博だと思ったのは、マレーシア研究者だけでなくインド研究者や華僑・華人研究者も会場に招いていたこと。マレーシア映画(特にヤスミン作品)を語るにはインドや中国についての知識も必要だけれど、マレーシア研究者が1人で全部カバーするのは難しい。世界各地を研究する研究者が集まっている民博は、その意味でとてもいい環境にある。
ただし、一般論として、インドや中国の専門家を呼ぶと、下手をすると、マレーシアのインド系や中国系がいかに「本場と違うか」にばかり言及されることになりかねない。ヤスミン作品で繰り返されているメッセージは、起源をたどればよそに「本場」がある人たちから成り立つマレーシア人である自分たちについて、起源をたどって「本場と違う」「代用品」と評するのではなく、「今ここに存在していること」をもって自分たちもまた「本物」なのだということなので、インドや中国やアラブの専門家がマレーシア映画について語ると微妙な緊張関係が生まれることになる。
話はそれるけれど、民博は民族ごとの研究者が集まる研究機関のはずなのに、一般の人向けにはどうしても国別の顔を見せてしまうのが興味深かった。マレーシアのような多民族社会では、特定の民族を研究対象としているのであってマレーシア全体に関わることについてはあまり知らないという研究者が実際にいてもおかしくないけれど、そういう人でも「マレーシア研究者」として括られてしまい、マレーシアについて何でも語れなければならない立場に置かれてしまう。民族別でも国別でもそれ以外でもいいんだけれど、それぞれの研究者には自分が愛をもって接する対象があるはずなのに、他人から見られるときにはそれらのうち「国別」だけが求められる。まあ、そういうハードルがあった方が関心を狭く持たないよう努力することになるのでよいのかもしれないけれど。
そんな環境に身を置いているうちに研究者自身も国別の意識がだんだん大きくなってきたりして。これまた一般論だけど、一口に「インド人」と言ってもインドには地方ごとにいろいろな人が住んでいて、そのなかには他から見て変わった習慣もあるだろうけれど、でもそれも地方ごとのバリエーションとして受け止められるのに対して、それが国境の外だと「本来の姿と違う」と語られてしまう。どっちも時代の変化に応じて少しずつ変わってきたりしているのに、それがたまたま国境の中だと本物の一部だと言われるし、国境の外だと「変わって違うものになってしまった」とみなされる。ここではインドの例で書いたけれど、中国だってアラブだって同じ。いったいなぜなのか。
地域の研究者と言ってもいろいろ。マレーシアに中学や高校があることはわかっているけれど、そこに通う生徒たちが一般にどんな目標や困難を感じながら学校で勉強したり日々を過ごしたりしているかはほとんど知らなかったりもする。そういう人は、ヤスミン作品を見ても「自分が知っているマレーシアと違う」という程度の感想しか持たないかもしれない。映画を「読む」ことは、それが劇映画だったとしても、研究対象地域をどう理解しているかをはかるとてもよい方法だ。
だいぶ話がそれたので話を民博の『タレンタイム』上映会に戻すと、マレーシア研究者で解説役の戸加里さんが「ヤスミン作品はマレーシアでどういう受け止められ方をしているのか」という質問に対して「一部には文句を言う人もいるけれど多くの人は歓迎している」と答えていた。この答えには回答者の愛を感じた。