「スールー王国軍」のサバ州侵入事件(1) ラハダトゥの位置と事件の経緯

2013年3月1日、マレーシアのサバ州東海岸ラハダトゥで「スールー王国軍」を名乗るフィリピン人武装集団とマレーシアの治安部隊の間で銃撃戦となり、双方あわせて14人の死者が出る事件が発生した。その翌日には、別の村で地元警察と武装集団の銃撃戦が生じ、双方あわせて少なくとも13人が死亡した。さらに戦闘はほかの地域にも広がりつつあるとの報道もある。3月5日にはマレーシアの警察と国軍による大規模な軍事作戦が展開され、「スールー王国軍」の殲滅作戦が展開されている。
意見の違いを暴力の行使に頼らずに解決する文化を作り上げてきたマレーシアで、多数の死傷者が出る銃撃戦や大規模な軍事作戦の展開が続いていることをどのように理解すればよいのか。「サバ領有権問題」「旧スールー王国のスルタンの末裔」「イスラム武装集団」などの言葉で語られている今回の出来事をどのように把握すればよいのか、何回かに分けて背景をまとめてみたい。
(とてもとても長くなったので3、4日分に分けて記載します。)

サバ州ラハダトゥの位置

サバ州はマレーシアの13州の1つで、首都クアラルンプールがある半島部マレーシアではなくボルネオ島カリマンタン島)にある。サバ州(面積約7.4万平方キロ)は北海道(本島面積約7.8万平方キロ)とほぼ同じ大きさなので、地理的関係をイメージするために北海道の例を使うことにしよう。サバ州の州都コタキナバルは、マレーシアの首都クアラルンプールと約1600キロ離れている。これはだいたい札幌と石垣島の距離にあたる。
今回の事件の舞台になったのは、サバ州東海岸のラハダトゥ郡にあるタンドゥオ村という小さな村だ。サバ州の玄関口であるコタキナバルからラハダトゥ郡の中心地ラハダトゥまで約270キロ、そこからタンドゥオ村まで約130キロ。札幌から根室までが約340キロで、それよりも遠い。
しばらく前まで、サバ州を紹介するときには「北海道ぐらいの広さの土地に札幌市ぐらいの人口が住んでいるところ」と言っていた。(最近ではサバ州の人口はもっと増えている。そのことは、後で書くように今回の事件と密接な関わりがある。)熱帯雨林が広がる土地に、沿岸部や川沿い、そして内陸部の盆地に人々がまばらに住んでいるというイメージだ。最近は大規模開発によるアブラヤシ農園も作られており、その近くに村が点在している。今回の事件の舞台となったタンドゥオ村も、アブラヤシ農園が広がる土地の、海辺の小さな村だ。コタキナバルからもラハダトゥの町からも遠く離れているが、海のすぐ向こうにはフィリピン領の島々がある。

事件の経緯

はじまりは、2013年2月12日頃、「スールー王国軍」を名乗るフィリピンの武装集団がラハダトゥの海岸に侵入してタンドゥオ村を占拠したことだった。報道によって人数は約100人説から約400人説まで幅があるが、フィリピンで派遣した側は後に225人と言ったと報じられているため、とりあえずこの数字に従うことにしよう。
スールー王国軍」がタンドゥオ村を占拠すると、マレーシアの治安部隊がタンドゥオ村を包囲して、投降を呼びかけるビラを撒いたりして平和的な解決を試みていた。しかし3月1日、タンドゥオ村で治安当局と武装集団の間で銃撃戦になり、治安当局メンバー2人、武装集団メンバー12人が死亡した。(このほかに市民1人も死亡したという情報もある。)このときマレーシア側で犠牲になったのは、マレーシア警察の対テロ対策の特殊部隊の2人の隊員だった。今回の事件への対応のために半島部マレーシアから海を越えてサバ州に派遣され、職務遂行中に命を失った。スランゴール州出身の46歳の隊員とトレンガヌ州出身の29歳の隊員で、特にトレンガヌ州出身の隊員は2歳と1歳の男の子2人を抱えた奥さんが残され、国民的な同情を買うことになった。
この事件と関連して、ラハダトゥ以外の場所でも銃撃戦などの事件がいくつかあった。
3月2日、センポルナで治安当局と武装集団の間で銃撃戦が発生し、警官6人、武装集団メンバー7人が死亡した。これは、前日の銃撃戦から逃れた「スールー王国軍」の兵士が潜入したという通報を受けて地元の警察が捜査に赴いたところ、発砲されて銃撃戦になったという。犠牲になった警官はほとんどが地元サバ州出身者だった。警察は、はじめこの事件はタンドゥオ村の「スールー王国軍」と無関係だと言っていたが、後にこれも「スールー王国軍」の関係者だと言うようになった。
3月2日には、クナックで警察が武装した3人を含む10人を逮捕した。これについても「スールー王国軍」の関係者だとされた。
3月3日には、センポルナの別の村で、住民が「スールー王国軍」兵士を撲殺するというショッキングな事件が起きた。住民らの話をまとめた警察によると、銃を持った男が村にやってきて、住民たちを脅して広場に集め、この村を自分の支配下に置こうとしたが、男がタバコを吸おうと銃を置いた瞬間に若者たちが飛びかかり、もみ合っているうちに誤って殺してしまった。警察は、このような実力行使は本来なら許されないことだが、事情が事情なので情状酌量の余地があると述べた。殺された男の身許は明らかにされなかったが、遺品から「モロ民族解放戦線」(MNLF)の身分証が出てきたため、「スールー王国軍」の関係者だとされた。
このほかにも、「スールー王国軍」の目撃情報はサバ州各地で警察に寄せられた。例えばタワウでは「スールー王国軍」による車上荒らしの被害が通報されたが、警察が調査してみると、車上荒らしの被害は確かにあったが、犯人は「スールー王国軍」とは無関係の人物だったという。このほかにも何件も「スールー王国軍」の目撃情報があり、警察が調査していった。目撃情報や噂は東海岸から遠く離れた州都コタキナバルにも及び、「スールー王国軍」兵士が近隣の村から州都に向かっているといった情報も飛び交ったが、その実体はなく、警察は「噂を信じないように」と呼びかけた。
このように「スールー王国軍」が各地に出没しているという情報がもたらされるなか、マレーシア政府はサバ州東海岸に治安部隊を増派し、3月5日に警察と陸海空3軍の共同作戦による大規模な包囲殲滅作戦を開始した。「スールー王国軍」兵士が占拠するタンドゥオ村と近隣のタンジュンバトゥ村を対象に、戦闘機による空爆そして陸上と海上から包囲した攻撃を加え、3月7日までに治安当局はほぼ全域を制圧したと発表した。「スールー王国軍」側は少なくとも51人が死亡し、先に銃撃戦で死亡した警察の8人を加え、この一連の出来事で少なくとも60人が死亡した。
3月7日、マレーシア政府はサバ州東海岸の5つの郡を特別保安地域に指定して、軍と警察を追加配備することにした。現在、「スールー王国軍」メンバーの一部が住民に紛れて逃亡しているとして、警察が追跡捜査を続けている。