『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民・・・』

話題としては前回の災後の話と2つ前のインドネシア東ティモールの映画からの繋がりで、災いで予期せずに身近な人を失ったときにどうやって弔うかという話。
バリ島爆弾テロを扱ったインドネシア映画『天国への長い道』(『楽園への長い道』の方がいいかも)では、目の前の遺体の身元を調べて名前付きで送り出すことでその犠牲者を弔うとともに、そこによって米国同時多発テロの犠牲になって遺体が見つからないまま空の棺を埋葬するしかできなかった恋人への弔いの気持ちが満たされる。
インドネシア軍による占領期に家族・親戚や親しい人が虐殺された東ティモールで、残された女たちは、戦争とはそういうものだから起こったことに対する憎しみの感情はない、でも家族・親戚や親しい人が生きているのか死んでしまったのかを知りたいし、もし死んでいるのだとしたら遺骨がどこにあるのかを知りたいと話したという。
アチェ津波被災地では、目の前に身元不明の遺体がたくさんある一方で、死んでいるとしたら遺体がどこにあるのかまったくわからないまま家族・親戚や親しい人との連絡が取れない状況で、残された人々は目の前の身元不明の遺体を身近な集団埋葬地に埋葬して、12月26日には最寄りの集団埋葬地にお参りした。そうすることで、自分の家族・親戚や親しい人が亡くなっていてもきっと身近な人が埋葬してお参りしてくれているはずだと思うことができた。
バリと東ティモールアチェの弔いの話におおよそ共通しているのは、会えなくなった人の生死を知りたいし、死んでいたら遺体を見つけて埋葬したいし、それがかなわないならせめて遺骨がどこにあるか知りたいし、遺体や遺骨に本来の(生前の)名前を与えてあげることで弔いたいという思いだ。それは人間社会だったらどこでもだいたい同じなんだろうなと思っていたら、そうではない社会もあった。しかもけっこう近い場所に。
『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という長いタイトルの本は、著者の奥野克巳さんがボルネオ島カリマンタン島)の狩猟採集民プナンと一緒に暮らしながら感じたさまざまな違和感を洗い出して、なぜプナンがそんなことをするのかという内在的な理由を考えるとともに、なぜそれに違和感を抱いてしまうのかという自分の内在的な理由も考えるという本だ。軽い文体で書かれているのでさらっと読み進めることができるけれど、現場では、1つ1つの違和感の理由をいろいろ考えて、あるときはっと閃いて自分なりに納得がいく理由に思い至るまでにはけっこうな時間と手間がかかったはず。その試行錯誤の過程を見せるという書き方もできただろうけれど、プナンの人々と私たちとで見せたい/見せてもいいと思っているものと見せたくない/見られたくないと思っているものが違っているように、過程を見せずに結果で語るのがプナンと過ごした奥野さん流なのかとも思う。
私もボルネオ島の別の人々と多少付き合いがあるけれど、私がふだん付き合っているのは、世界各地から来る文明・文化を何でも取り込んで、杓子定規に従っているように見せて実際には換骨奪胎して自分たちの思う通りにしてしまうという人たちで、私はそこに戸惑いと魅力を感じるのだけれど、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民・・・』を読めば読むほどプナンは私が馴染んでいる人たちと好対照だと思えてくる。
この本ではそんなプナンのいろいろな営みが紹介されていて、特に興味深く読んだのが弔いの話。プナンは、人が死ぬと、日本人のように死んだ人に戒名を与えたりせず、残された家族が一時的に名前を変えるのだという。現在でも続くこの習慣を「デス・ネーム」と呼んでその研究にとりつかれてしまった人類学者の話や、身近な死者の遺品を焼き尽くして死者の痕跡が一切見えないようにするプナンの話が紹介されていて、死者と名前と遺品と弔いの話は奥が深い。