『インディペンデント映画の逆襲 フィリピン映画と自画像の構築』

『インディペンデント映画の逆襲 フィリピン映画と自画像の構築』(鈴木勉、風響社)を読んだ。2005年に始まったシネマラヤ映画祭の上映作品を中心に、フィリピンのインディペンデント映画を一気に紹介している。

映画の本は、読者が知らない映画の話がたくさん載っていると読まれにくいという話を聞いたことがある。この本を読むと、それは本当なのだろうかと考えさせられる。

『インディペンデント映画の逆襲』はたくさんの映画を紹介している。目次に作品名が出ているものだけで89作あり、索引には140作以上が並んでいる。しかもそのほとんどがインディペンデント映画だ。半分も観たことがないという読者も多いだろうが、読み物として読ませる本になっている。

その工夫の1つは、作品の内容紹介やスタッフ・キャストの話はなるべく簡潔にまとめて、作品の背景となるフィリピン事情の解説を充実させていることに力を入れていることだろう。そのため、読者は個別の作品を知らなくても、そしてフィリピンについて詳しい背景事情を知らなくても、本を読み進めていくにつれてフィリピン事情を知っていくという仕掛けになっている。

構成も工夫されていて、インディペンデント映画史に始まり、風景、地域映画、ポストコロニアル、日本との関係、「ポスト真実」時代、そして信仰と順に読んでいくと、フィリピン映画についての映画を観ているような気にもなってくる。

そしておそらく最も肝心なのは、淡々と書いているようにも見えながら、著者のフィリピンへの熱い思いが垣間見えることだろう。著者は、自分はフィリピンにとって他者であることを自覚した上で、「他者の苦痛へのまなざし」を意識して、他者のさまざまな声をどうすれば実感をもって想像することができるかという課題を自分に課している。

著者の思い入れは冒頭に最もよく表れている。フィリピン人が登場するシンガポール映画の『イロイロ』を最初に取り上げて、そのまなざしを厳しく批判する。この批判が最後の作品紹介まで本書の一貫したテーマになっている。『淪落の人』のことはどう評価するのか、機会があれば著者に聞いてみたい。