九州のメシ+雲仙災害記念館

この半年のダイジェスト版のその2は九州。福岡国際映画祭やその他の機会で九州に行く機会が何度かあった。ここではメシを中心にメモ。


博多は天神のジュンク堂書店のそばの一蘭でラーメン。食券を買って店に入った後は完全プライバシー保護。カウンターに座ると隣の客との間に目隠しがある。正面には簾がかかっていて、ボタンを押すと簾が開いて店員が来る。しかも客と店員が互いに顔が見えないような作りになっている。客は一言も口をきかずに自分の意図が伝えられる仕組み。店員の言葉は素っ頓狂な棒読みなので、言葉の上でも個性が消えている。だから、例えばこの店に来た客のお嬢さんが店員として働いていたとしてもお互いに気がつかないかもしれないし、あるいは、カップルで来て隣どうしで食べていても、連れに知られずに自分だけ替え玉を2つも3つも頼むこともできる。客が口をきかずに意思を伝えることができるというのが徹底していて、カウンターで追加注文する人のために箸袋が注文書になっている。
敢えて1つ難を言えば、ほとんどすべての追加品目が50円とか100円とか150円とかの50円単位で設定されているので、誰かが追加注文して店員が「○○円いただきました」と言っても他の人は何を頼んだのかわからないけれど、替え玉が150円ではなく160円なので、替え玉を頼んだかどうかだけはわかってしまう。徹底するなら替え玉も150円にしてくれないと。
それはともかく、淫靡な雰囲気が何とも言えずおもしろくて通ってしまった。また行きたいと思ったら東京の渋谷にもあった。システムはほとんど同じだけれど、客層が違うためか、淫靡感は半分。


西鉄ビルの上に焼きカレー屋。小倉市には早くから一般家庭でオーブンが使われるようになって、カレーを焼いたりしていたんだとか。味はまあまあ。横浜にもお店があるらしい。


長崎市。江山楼と四海楼でちゃんぽん。JR長崎駅の駅ビルに入っている回転寿司。この寿司は値段の割にやたらにクオリティが高い。三時のおやつは文明堂。そしてデザートはざぼん。
長崎でよく見かけたのがトルコライス。洋食のようなもので、なぜかスパゲティとトンカツが載っている。豚肉のトンカツを載せてトルコライスというのはどういう名前の付け方かと思うけれど、ネット上で調べると由来にはいくつか説があるらしい。何となく思うに、少し前の日本では、和・中華・西洋のどれでもない舶来の文化がなんとなく「トルコ」というイメージと重ねられていたとか? 今でいう「エスニック」みたいな響き。かつては「トルコ風呂」なんてのもあったし。風呂は名前が変わったけれど、トンカツ入りトルコライスという名前は、全国区ではないこともあって、これから先も続くんだろうか。今後の日本のトルコやイスラム諸国との関係しだいかも。
夢彩都というショッピングモールの4階あたりに品揃えがやたらに濃い雑貨屋+本屋。東京などでは出版と同時に店頭から消えてしまった暴露系の本が並んでいたりする。
JR長崎駅前の「まんだらけ」ならぬ「ほんだらけ」書店で雲仙の噴火についての本を入手。


メシではないけれど原爆資料館。「アメリカが落としたため」というよりは「人類が戦争をしたため」という語り方だったのが興味深い。国籍や民族を意識させるものは被爆者の証言のコーナーに外国人被爆者の証言があったぐらい。その一方で、資料館の裏にある原爆死没者追悼平和祈念館の庭には旧社会主義国から贈られた碑が立ち並んでいた。碑文は人類平和を謳っているけれど、冷戦期に反米の意味で贈られた?


雲仙市。雪の中を地獄めぐり。かつてキリシタンを処罰した場所だったらしく、記念碑もある。そんな場所が「地獄」と名付けられた観光名所の一部になっている。キリシタン処罰をしていたのは誰だったのか、その人たちと地元の人たちはどういう関係だったのか、誰が内で誰が外だったのかなどといろいろ想像してみる。
雲仙お山の情報館では「パークボイス雲仙国立公園季刊紙総合版(1983〜2004)」を見つける。雲仙公園の季刊紙「Parkvoice」を創刊号から最終号まで20年分を集めて綴じたもの。平成の噴火の時期を含めた雲仙の20年の様子がわかるとともに、動植物(特に鳥)や歴史・文化など、刊行に携わっていた3人のそれぞれの得意分野と思われる記事が充実していて読み応えがある。


島原市の雲仙災害記念館。火山噴火についてわかりやすく展示してある。でもこの記念館について特記すべきなのはそれではない。雲仙の平成の噴火がどうして「災害」になったのかを伝えることがこの記念館の最大のミッション。噴火があっても、地元の人たちは火山の活動をモニターしながら住民の避難などで十分に対応していたが、いい「絵」を取ろうとした報道関係者が再三の警告を無視して危険地帯に居座り、その結果、火砕流を受けたときに消防団員、警察官、地元住民たちを巻き込んでたくさんの犠牲者を出した。さらにそれが報じられることで雲仙は危険だというイメージが広まり、観光業をはじめ地元の産業が大打撃を受けた。展示をそのまま読むと報道関係者を含めた犠牲者への追悼の意が感じられるが、展示や説明文の行間からは、火山の危険性を甘く見たよそ者のせいで火山とともに暮らす経験を重ねてきた地元の人たちがとんでもない目にあったという思いが強く伝わってくる。
火山の怖さを他人事として楽しみたい人は、もしかしたら行間のメッセージを見逃してしまうかもしれない。でも、1階の展示を見終わって2階に上がると、火砕流で犠牲になった報道関係者が撮影していたカメラから取りだされた当時の映像と、その取材について当時の同僚や家族たちが語る短い映像資料「雲仙・大火砕流378秒の遺言」があって、これを見ればこの記念館に込められたメッセージが伝わってくるだろう。報道や研究で火山に携わる人は一度は雲仙災害記念館を訪れた方がいい。
2階の喫茶室には「溶岩ドームカレー」もあったが、ここはやはり島原の乱に思いを馳せながら名物の具雑煮をいただく。


熊本。島原から熊本までフェリーで渡った。渡った先に熊本市内へのシャトルバスがあるというのでこれは便利と乗せてもらい、終点でバスを降りてそのまま立ち去ろうとしたら「バス代払って」と呼び止められた。シャトルバスっていうからつい無料なのかと思ったけれど、有料のシャトルバスサービスだったのね。
JR熊本駅前は新幹線開通の準備中。市内には日本最大のアーケード街。(日本最大なのは道幅という説もあるらしい。)TSUTAYAならぬ蔦屋書店が大きい。
残念ながらせっかく熊本に行ったのにウルトラマンランドには立ち寄れなかった。新幹線が通るともっと行きやすくなるかも。