『香港と日本 記憶・表象・アイデンティティ』

『淪落の人』のことを考えていたら、『香港と日本 記憶・表象・アイデンティティ』(銭俊華、ちくま新書)に出あった。

香港出身で日本の大学院で学んでいる著者は、遊び心に溢れているようで、どうすれば読者を飽きさせずに最後まで読んでもらえて、あまり難しい話をすることなしに自分が訴えたいことを読者に伝えられるかをよくよく考えたようだ。

1章では、読者が日本から香港に旅行に行くのを著者が隣についてガイドしてくれる。日本を出てから飛行機に乗って香港に着いて現地の目的地に着くまでガイドをしながら、見逃してしまいそうなポイントを押さえてその意味を解説してくれるので、読者は読み進めるうちに香港人は中国人でも台湾人でもないということをいろいろな角度から理解していく。
そうやって香港人は台湾人とも中国人とも違うのだということがしっかり頭に入ったところで、2章になると、著者は自分は香港人だけれど中国人でもあるという。1章で言っていたことと違うようにも思えるけれど、1章と2章の内容は矛盾しているわけではない。そこが香港の立場の複雑なところであり、奥深いところでもある。

2019年の香港のデモのことを書いている3章では、著者の両親との意見の違いなども紹介しながら、香港で何が起こっているのか、そしてそれをどう考えるのかを、読者にわかりやすいように、でも単純化することもなく、著者の言葉で説明している。1つの明確な結論が出ているわけではないのは、著者が自分もこの問題に密接に関わっていることを自覚してどのように臨めばよいのかを考え続けているためだろう。

私にとってのこの本の肝は、香港と日本アニメについて書いた4章だ。実写だと生身の役者が演じるため、作品の世界観と役者の政治的立場が食い違うことがある。香港の芸能人が政権を擁護する発言を重ねると、その役者が出ていた作品の世界観も色褪せてしまう気持になる。でもアニメだとそういうことが起こりにくく、日本のアニメなら香港の政治から距離があるのでなおさら政治に巻き込まれにくい。「アニメキャラは裏切らない」という見出しは、裏切られた気持ちになって残念な思いをしたことを思わせる。

実際にいくつかの作品を例として、日本のアニメが香港でどう紹介されているかが書かれている。作品の内容だけでなく、それがどう翻訳されるか、そして現地の人々がどのようなメッセージを読み取るのかが丁寧に書かれていて、とても読みごたえがある。小説や映画は人びとがそれをどう受け止められたのかが重要だけれど、それをうまく捉えて説明するのがなかなか難しい。本書は日本と香港の事情に通じた著者がとてもうまく表現している。

このように、本書は香港がどのような「国」なのか、そして香港でいま何が起こっているのかを解説しているとともに、5章以降ではその延長で日本と香港の関係をどのように考えればよいのかについて考えを巡らせている。アジアの中の日本については日本と中国の関係を抜きに考えることができない。でも、中国と言ったときに私たちは何をイメージしているのか。一括りにして中国と見るのではなく、もう少し詳しく見てみると、これまでと別の対応のしかたが出てくるかもしれない。そのためにはまず香港を知ることから始めよう、そのことは日本のこれからを考える上でもとても大切な意味を持つ、というのが本書の一番のメッセージであるように感じた。

もっとも、私がこの本を読んで一番印象に残ったのは、携帯電話などで漢字を分解して入力する話だった。「東」を「木田」と入力するというところですでに十分驚きだけれど、「京」は「卜口火」と入力するという。「とろ火」が京になるというのはなかなか想像できないし、漢字の成り立ちを無視してパズル的に分解して組み合わせているようにも思えるけれど、この柔軟さが香港らしさなのかもしれない。