『吉陵鎮ものがたり』

李永平(池上貞子・及川茜訳)『吉陵鎮ものがたり』(人文書院、2010年)を読んだ。
「台湾熱帯文学」シリーズの第1巻。マレーシア出身で台湾で活躍している作家たちによる華語(中国語)文学を通じて南洋性と中国性の交錯を考えるという試みで、それが「台湾熱帯文学」というシリーズになっているのが興味深い。
互いに繋がっているようで独立した話のような12の物語。はじめのうちは物語の状況がよく飲み込めず、ごつごつした岩場を読み進めているような感じもしたが、後半からはしだいに大きくなっていく川の流れに身を委ねる感じで読み進められた。擬態語の1つ1つが場面にぴたりとはまっていて、訳語の選択が巧いなあと思う。川の流れについては後述。


この本の内容には直接関係ない部分だが、「解説」で李永平の前作である『拉子婦』の邦題が『マレーの女』になっているのはどうだろうか。「拉子」というのはサラワクだけで通じる言葉で、その意味が「原住民」だというのはいいとして、「原住民=マレー人」というのは半島部マレーシアの話だ。李永平はサラワク出身なので「原住民=マレー人」ではない。
とっても大ざっぱに言えば、かつてサラワクを統治したイギリス人は、この地の住民を「沿岸部のムスリム」と「内陸部の非ムスリム」と「外国人」に分けた。どのカテゴリーも民族的には多様だったけれど、イギリス人はそれらを人括りにしてムスリムをマレー人と呼び、非ムスリムをダヤク人と呼んだ。(外国人はヨーロッパ人や中国人。)今ではこんな大ざっぱな分け方はしないけれど、この分類がずいぶん長いあいだ使われたため、サラワク社会ではまだその言い方が残っている。ダヤクは中国語で達雅と書く。発音はdayaだけれど、dの音はしばしばlに転じるのでla-aになり、これに「拉」の字があてられて「拉子」という言い方ができた。ということで、「拉子」とはかつてダヤク人と呼ばれていた人びとのこと。今ではイバン人や他の民族名で呼ばれているけれど、「拉子」は単に民族分類ではなく文明性と結びついて蔑む含意がある表現なので、今日風に「イバン」と訳しても意味が十分に伝わらない。
ヨーロッパ人は中国人とイスラム教徒を曲がりなりにも「文明人」扱いしたが、非ムスリムのダヤク人は「未開人」扱いした。そのため、「ダヤク」は、単にダヤク人という民族を指しているのではなく、「未開の原住民」という意味が込められた。中国人もこの認識をおおむね受け継いだ。中国人にしてみれば、自分たちは中国文明を背負う文明人であり、それがボルネオ(サラワク)では未開の原住民である「ダヤク=拉子」と交わって暮らしているという複雑な思いがある。その気持ちは「半唐半拉」という表現にもよくあらわれている。そして、イギリス人が持ち込んだ「文明対未開」という図式にならえば、マレー人はイスラム教徒で「文明的な原住民」なので、「中国人とマレー人」は文明どうしの対抗関係ということになる。だから、「拉子」を「マレー人」とすると、そこに込められた意味が十分に伝わらないように思う。まあ、「マレー」と「ダヤク」が持つ「文明性」と「未開性」のイメージと言っても一般の日本人読者にはわかりにくいだろうから、「南洋の原住民」ということで「マレー」と訳しておくという判断だったのかもしれないが。
「拉子婦」は、直訳風なら「ダヤクの女」、それだと意味が通じないなら「原住民の女」の方がよかったのではないか。「ダヤク」とあればサラワクの話だとすぐわかる。「マレー」とあるとタイトルだけ見ると半島部マレーシアの話かと思ってしまう。
少し前まで、日本ではマレーシアのことなんて誰も知らなかった(と言っても決して大げさではない)。最近、マレーシア映画などの影響もあってか、「マレーシアはマレー人、華人、インド人の多民族社会」という認識が一部で受け入れられつつあるように思う。でも、実はこの図式が当てはまるのは半島部マレーシアだけ、しかもその西海岸だけだ。ボルネオ島のサバ・サラワクや半島部マレーシアの東海岸ではこの図式は通用しない。


話を戻して、どうして「マレー」でなく「ダヤク」にこだわるかというと、この物語の舞台がボルネオ(サラワク)であるかないかと関わってくると思うためだ。『吉陵鎮ものがたり』の帯には、「架空の町を舞台に繰り広げられる罪と報いの物語」「中国北方の色彩と南方の風情あふれる「吉陵」は・・・」とある。解説によれば、『吉陵鎮ものがたり』は前2作と違って南洋らしさがなくなり、舞台は中国的な架空の場所とされている。確かに、地図上の特定の場所が舞台として想定されているわけではないようだし、物語には中国文化に関わる文物ばかり登場する。でも、『吉陵鎮ものがたり』を読み進めれば進めるほど、私の頭の中にはサラワクの大きな川がゆったり流れている様子が浮かび上がってくる。
李永平の3部作を、「解説」に書かれていたタイトルで『ボルネオの子』『マレーの女』『吉陵鎮ものがたり』と並べると、ボルネオから出発してマレーシアに展開して、さらにどこにもない「故郷」へ、という道筋が見えてくる気もしないでもない。でも、2作目を『マレーの女』ではなく『ダヤクの女』にすると、『ボルネオの子』『ダヤクの女』『吉陵鎮ものがたり』になる。「吉陵鎮」と「万福巷」はどちらもサラワクのクチンの地名を思わせる響きがある。クチンの吉陵鎮(カンポン・クリン)のそばには旧市街の市場があり、そこから対岸に渡し舟が出ている。そういう頭で見ると、3つ並んだタイトルはどれも南洋の香りが漂ってくる。
タイトルだけではない。『吉陵鎮ものがたり』の巻三からは雨の描写が多くなり、場面全体が水分を多く含んだ感じで物語が進んでいく。そして、やっつけてもやっつけても繰り返し出てくるくる蛇は、サラワクの大きな川を想像させる。読み進めていくうちに、頭の中でサラワクの大河とそれに接して暮らしている人々の町のイメージがどんどん強まっていく。確かに出てくるのは中国系の文物ばかりだけれど、それは中国文化というスクリーンに映された影絵であって、そのスクリーンの向こう側に南洋が透けて見える気になってくる。6月19日の観音迎えをガワイ祭りと読みかえるのは読みすぎだろうか。髭の人は、禿の人は、それぞれボルネオのあんな人やこんな人の象徴なのではないかと想像が膨らんでいく。
そう考えると、『吉陵鎮ものがたり』は、架空の町の物語としてではなく、明示されていないながらもボルネオ社会の物語として読むことができるかもしれない。南洋好きの人は、台湾文学だから関係ないと言って敬遠することなかれ。ページの間や行の間にちゃんと南洋のにおいがする。


これは私の深読みが過ぎるだけなのかもしれない。でも、「マレーシア華語文学」(馬華文学)と総称されているものも、マレーシアと一括りにするのではなく、半島部とボルネオなどに分けてみるともう少し別の像が見えてくるのではないか。「台湾熱帯文学」シリーズは第2巻でもボルネオが題材になっているらしいし、半島部マレーシア出身の著者による第3巻がイスラム教を題材にしているようなタイトルになっているのも興味深い。第2巻以降の刊行が待ち遠しい。