マレーシアで買った本

マレーシアで買った本。このところクアラルンプール滞在は1回につき数時間ということが多かったが、今回は少し長めに滞在することができた。妙な巡りあわせで、華語とマレー語の「同志」(同性愛)関係の本を1冊ずつ手に入れた。


Our Stories[我们的故事](欧陽文風編、海濱出版/SEASHORE刊、2010年)
欧陽文風はこの場でも何度か取り上げているが、在米マレーシア華人で、ゲイであることをカムアウトして執筆活動を行っているキリスト教の牧師さん。
マレーシアの華語同志小説 - ジャカルタ深読み日記
この本は、欧陽文風が2006年に出した『現在是以后了嗎?』を読んで手紙を送ってきた読者の中から15人を選び、それぞれの物語を語ってもらったもので、「15の酷児同志の物語」。「0号」や「1号」などの中国語の同性愛関係の表現がいろいろ出てくるので興味深い。
投稿者の在住地は中国、香港、台湾、マレーシア、カナダ、米国で、どれも華人。欧陽文風の本が世界各地の華人のあいだで「バイブル」として読まれていることがわかる。
投稿者はみなメールアドレスを掲載しているし、多くの人が顔写真も載せている。性別は自己申告制で、男性と女性がほぼ同数。マレーシアからの投稿者の1人はペナン出身でクアラルンプール在住の教育関係者ということなので、もしかして私がよく知るあの人かと思って読んでみると、書かれていることと彼からよく聞いていた話がかなり重なっている。でも、彼は漢字の読み書きはできないんだった。同じようなことを考えている人が少なくないということだろうか。
この本の巻末で、続編を出したいので我こそはと思う人は投稿してほしいと呼び掛けている。それはいいのだけれど、続編は「世界各地の華人同志の物語」と呼ばれている。どうして華人限定なのか。そりゃあ華語で書いた本なので読者はほとんど華人ばかりだろうから、「華人同志」の方がアピール力はあるだろうけれど、華人以外で読む人もいるだろうに。せめて「華語で読み書きできる人」としてはどうかとも思うけれど、そうすると漢字の読み書きができない華人が排除されちゃうか。ゲイには「血統を絶やすな」という圧力からの解放という意味もあると思うのだけれど、それでも最終的に寄って立つところは後天的に得られる文化ではなく先天的に与えられる血統ということになるんだろうか。このあたりの整理がうまくつかない。


Orang Macam Kita (Azwan Ismail & Diana Dirani編、Matahari刊、2010)
タイトルの「Orang macam kita」は、マレーシアやシンガポールで同性愛者たちが自分たちを指すときによく使うようになってきたPLU(People like us)のマレー語訳。アミール・ムハンマドが2009年に出した英語のアンソロジー『Body 2 Body』に触発されてマレー語でも同性愛に関する論集を出そうということで企画されたらしい。
マレーシアで見つけた本 - ジャカルタ深読み日記
執筆者はすべて本名を使っているが、同性愛者であるかどうかは明らかにされていない。内容も、短編小説だったりマレーシアのメディアにおける同性愛の扱いの歴史のレポートだったりとさまざま。
巻頭の序論にはマレー語の古典文芸や最近の小説における同性愛的な表現に関する研究が簡単に紹介されている。マレー人社会において同性愛は近代化に伴う新しい現象なのではなく、古くから社会の中に埋め込まれた慣習として捉えることができるんだとか。詳しい議論は元の研究を読むとして、同性愛に関わるマレー語小説の作品名などが並んでいるのでレファレンスにいい。
この本と直接関係ないが、序論によれば、この本の編集作業が行われている最中に、マレーシアの紀伊國屋書店を警官が訪れ、売り物の『Body 2 Body』を「風紀を乱す恐れがあるから」と3冊押収してしまったらしい。本の押収って書店の店頭で行うのかと驚くとともに、もしかしておまわりさんたちも内容に興味があって、だから友だちの分とあわせて3冊押収して、持ち返った先で「この本はけしからん」「大いにけしからん」とか言いながら読んでたりするんじゃないの、と思ったりする。それはともかく、KLCCの紀伊國屋書店は欧陽文風のコーナーもあってこの手の本をしっかり揃えていてとても便利でありがたいところなので、これからも頑張っていただきたいと思う。