マレーシアの総選挙分析

本屋を何軒かまわってみつけたもの。意外にも数が多かったので、さしあたり目次まわりを見ただけでちょっとだけ紹介を。


(1)今回の総選挙で何が起こったのかをみんなで分析したり個人で検討したりしているもの。
Onn Yeoh (ed), Tipping Points: Viewpoints on the Reasons for and Impact of the March 8 Election Earthquake. (Edge COmmunications, 2008.)
Nathaniel Tan & John Lee (eds), Political Tsunami: An End to Hegemony in Malaysia?. (Kinibooks, 2008.)
Ioannis Gatsiounis, Beyond the Veneer: Malaysia's Struggle for Dignity and Direction. (Monsoon, 2008.)
Riduan Mohamad Nor. Analisis Pilihanraya Umum Ke-12: Makkal Sakhti 2008. (Jundi Resources, 2008.)


Tipping PointsはThe Edgeやインターネット上で選挙前後に何人かによって書かれた記事を集めて総選挙の全体像を浮き上がらせようとしたもの。
Political Tsunamiは、「政治の津波」と呼ばれる今回の総選挙結果をもたらした原因を学者やジャーナリストや評論家が項目ごとに分析しているもの。
Beyond the Veneerはジャーナリストである著者が2003年からAsia Times、Newsweek、Washington Times、al Jazeeraなどに書いたマレーシアの政治がらみの記事を集めて2008年総選挙に至る過程を描いたもの。
Analisis Pilihanraya Umum...も著者が分野ごとに選挙の原因を検討したもの。タイトルの「Makkal Sakhti」はタミル語で「ピープルパワー」を意味し、今回の選挙でのキーワードの1つだった。


(2)今回の総選挙を契機にマレーシアの社会や政治が大きく変化したと捉えて、それをどのように把握すべきか検討しているもの。
Suflan Shamsuddin, Reset: Rethinking the Malaysian Political Paradigm. (ZI Publications, 2008.)
Neil Khor Jin Keong & Khoo Kay Peng, Non-Sectarian Politics in Malaysia: The Case of Parti Gerakan Rakyat Malaysia. (Trafalgar, 2008.)
UMNO Selepas Pilihan Raya Ke-12 (Pemikir. Bil.53, 2008.)


Resetは今回の総選挙を契機にマレーシア政治のパラダイムを再考する試み。あとの2つは個別の政党をどう見るか。UMNO Selepas Pilihanraya...は与党連合の中核政党であるUMNO。Non-Sectarian Politics...は与党連合の一員で今回の総選挙で大敗したGerakan。
Gerakanはもともと1960年代に民族別の与党連合に対抗する多民族政党として結成され、その性格は今日まで一貫して維持されている。ただし1970年代に与党連合に加入したことで、民族別政党の寄合所帯である与党連合内では華人政党と見られることになった。この本は、Gerakanの軌跡をたどることで、マレーシアにおける民族別でない政治の展開と今後の可能性について論じようとしているものだろう。
マレーシアの政治は民族別なのかという問いは、今回の総選挙後に大きな問題となっている問いの1つ。これまでの研究の多くは、マレーシアの政党をどれも民族別政党として分析してきたけれど、今回の総選挙ではその見方がもはや通用しなくなったことが明らかになった。これからは新しい枠組みによる研究がたくさん出てくるだろうけれど、この本はそのはじまりの1冊になる。でも、だからこそ、連合与党内で多民族政党としてがんばっていたGerakanが今回の選挙で大敗したのは残念。


(3)今回の選挙結果の背景となるマレーシア社会の問題点を分析しているもの。
Vasanthi Ramachandran, As It Is...: An Ode to a Decade of Hidden Issues. (Pelanduk Publications, 2007.)
Ponmugam. The Disillusioned Tamils... in Malaysian Politics: Perceptions of a Tamil-Speaking Malaysian. (Vaedan Enterprise, 2008.)
Fong Chin Wei & Yin Ee Kiong, Out of the Tempurung: Critical Essays on Malaysian Society. (West East Publishing, 2008.)
孫和声・唐南発編『風雲五十年:馬来西亜政党政治』(燧人氏, 2007.)
Lee Ban Chen, Bagaimana Keris Diganti dengan Merpati?: Koleksi Rencana Kritis. (Polar Vista, 2008.)
Farish A. Noor. Di Balik Malaysia: Dari Majapahit ke Putrajaya. (ZI Publications.)
Collin Abraham. Speaking Out Loud for National Unity: Social Change and Nation-Building in Contemporary Malaysia. (Gerakbudaya Enterprise, 2008.)


今回の総選挙の焦点の1つとなったのがインド系住民の政府への不満だった。マレーシアのインド系社会についての研究はあまり多くない。As It Is...は著者はインド系女性のコラムニストで、これまでの10年間にマレーシア社会で何が起こっていたかを、インド系や女性などの社会的弱者を中心に考察したもの。
インド系住民に限らず、マレーシア社会について多くの人がそれぞれの見解を持ち寄っている。Out of the...と風雲...はマレーシアの社会や政治について学者やジャーナリストたちの見解を集めたもの。Bagaimana Keris Diganti...は2006-2007年にMalaysiakiniでコラムを連載していたジャーナリストによる批評集。


(4)今回の選挙に大きな影響を与えたと言われているインターネットなどの「ニューメディア」「オルタナティブメディア」に焦点をあてたもの。
Jun-E Tan and Zawawi Ibrahim. Blogging and Democratization in Malaysia: A New Civil Society in the Making. (SIRD, 2008.)
Jeff Ooi. I-Witness: Knowledge Economy in Malaysia: A Columnist's Insights. (Refsa, 2008.)


ブログをはじめとするインターネット上の発信は、これからのマレーシア政治を考える上で避けて通れない。ただし、ブログの影響がどれだけなのかをきちんと見極めることが重要だろう。既存のメディアが「すっかり」信用を失い、そのかわりにインターネットが信用されるようになったとする議論は安易だ。「既存メディアに書かれていることが嘘ばかりで、インターネットでの発信は信頼できる」としてしまうと、今後インターネット上で一方的な情報発信が出てきたときに足元をすくわれかねない。それに、既存のメディアが「すっかり」信用を失ったのだとしたら、それ以外のメディアが「オルタナティブ」としての意味を持たなくなる。
インターネットの影響を考える上では、情報にアクセスできる人の範囲が極端に広がったという観点を逃すことはできないだろう。世界からどう見られるかをとても意識しているマレーシア社会では特にそうだ。アンワールの同性愛容疑にしても、逮捕・取り調べしては翌日釈放したり、その後すぐに起訴しなかったりというのも、諸外国の目(特にアメリカの目)を気にしているから。アメリカ人が実際にマレーシアのブログを読んでいるかどうかではなく、マレーシアの人々がアメリカ人など外国人に読まれるかもしれないと思っているところが重要だ。その意味でインターネットはマレーシア政治に大きな影響を与えていると思う。


見つけられなかったものもあるだろうし、まだまだこれから出てくるかもしれないので、見つけた人は教えてください。
それはともかく、これほどまでにいろいろな人が本を出しているのは、マレーシア政治が、というよりマレーシア政治研究が、今年の総選挙を契機にがらっと変わってしまったことを意味している。シニア研究者も新米研究者も同じスタートラインに立っていると言っても言い過ぎじゃない。だからこれからマレーシアの政治研究に参入する若い人たちは、シニア研究者の言うことに過度に縛られることなく、実際に何が起こっているかをよく見て、それをうまく説明できる議論を見極めるようにしてほしいと思う。
なんでもかんでも民族別に語っていれば済む時代はもう終わった。でもマレーシア社会で民族は依然として大きな意味をもっている。だから、これからは民族をどう語るかがますます問われることになる。