「ウルトラ銀河伝説」――プラナカンが世界を救う

マレーシアにいると年の区切りの感覚がつかみにくいが、それでも今日で1年が終わることに違いはない。年の区切りのお祭り気分に乗っかって、今年最後に日本で観た映画「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」をもとに大風呂敷を広げた話を書いておこう。


はじめにお断り。
映画の内容を最後まで書いているので、まだ観ていない人はご注意を。
また、「ウルトラ銀河伝説」は、ウルトラ・ファンとしては内山まもる先生とアマギ隊員の握手シーンなどで盛り上がるのが筋だとは思うけれど、ここではウルトラマンを題材にあらぬ方向に話を展開しており、もしかしたらウルトラ・ファンの方々には読んで楽しくないかもしれないのでご注意を。
さらに、「あらぬ方向」というのは早い話が「アメリカ対イスラム教」という話で、これに関してまじめに取り組んでいる人で「ウルトラマンと怪獣が戦う子ども番組と一緒にするな」と思う人は、ここから先は読まないようご注意を。


まずは長い前置きから。
ウルトラシリーズを通して問われるのは、以前も書いたけれど、「ウルトラマンたちはどうして地球を守るのか」という問いだ。(ウルトラマンとマレーシアとぼくらの地域研究 - ジャカルタ深読み日記
宇宙を自力で飛べるしさまざまな能力を持つ高度に知的な生命体であるウルトラマンたちが、見も知らぬ星である地球の特定の生物種である人間を守るためにときに命をかけて戦う理由は何なのか。(「ウルトラマン」は固体名であって種族名や一族名ではないので総称が難しい。以下では戦う側面に注目して「ウルトラ戦士」と総称することにする。複数のウルトラ戦士の話が混じることもあるので、マニアの方々は適宜「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」などに置き換えてお読みいただきたい。)
先の問いに対して、佐藤健志は「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」のなかで、スーパーマンと比較して次のように答えている。スーパーマンは故郷の星を失って移民としてアメリカにたどりつき、アメリカ社会で育てられた。だから「アメリカのため」にアメリカの敵と闘うのであり、これはアメリカ社会の現実社会に照らしても受け入れられる論理である。これに対してウルトラ戦士は、地球に恩義があるわけでもないのに自らを犠牲にしてまで地球を守っている。このことを日本人が不思議がらずに受け入れているのは、アメリカに安全保障をただ乗りしている日本人の安全保障観と重なっているから。つまり、ウルトラ戦士とはアメリカの軍事力のことであって、日本人は何の代償を払うことなくその助けが当然得られるものと思っている。だから、もし日本が一人前の国になりたいなら・・・と話は続く。
その話を日本に当てはめたときの続きはともかく、どうしてよそ者であるウルトラ戦士が地球のために怪獣や宇宙人と闘うのか。これについて、これまで40年以上も続いたウルトラ・シリーズでは、いろいろな立場から回答を試みられてきた。
1つの立場は平成の世になってビデオ版で作られたウルトラセブン。40年前のテレビシリーズのウルトラセブンに、ノンマルトという「侵略者」が登場して、結局はウルトラセブンと地球人(ウルトラ警備隊)によって殲滅されてしまう話があった。この話に落ちがあり、「ウルトラの星で「ノンマルト」とは地球の先住種族を指す名前として知られている、だとすると彼らこそ地球の先住種族ではないのか、そうだとすると人間は地球の外来種なのか」というウルトラセブンが疑問を投げかけるところで終わる。このエピソードはマニアの間でウルトラセブンの物語の深さを示すものの1つとして語り継がれてきたが、40年後に作られた平成版ウルトラセブンでは、ノンマルトが地球の先住種族であることは確定した事実とされ、ノンマルトの末裔が率いる怪獣が再び地球人を襲ってきた。そこに現れたウルトラセブンは、地球の先住種族が外来種族から自分たちの星を取り戻そうと派遣した怪獣を倒すべきか葛藤した上で、結局はノンマルト側を倒して人間を守ることを選択する。「先住種族を守る」という宇宙の掟を破ったウルトラセブンは宇宙の牢獄に幽閉され、シリーズが終わる。
「先住種族」と「外来種族」を明確に区別して先住種族のみ保護するのが宇宙の掟だとしたらずいぶんナイーブな掟であるし、その枠組みに安易に乗っかってウルトラ戦士を否定したこの作品にはかなり賛否があったようだ。それはともかく、ここで示されているのは「先住種族を守る」というルールであり、だから(人間が地球の先住種族であると見られている限り)ウルトラ戦士が宇宙人や宇宙怪獣の侵略から地球を守るのは筋が通ったこととなる。
もう1つの立場は、ウルトラマンは実は地球の出身だったとするもの。ウルトラマンティガに始まる平成三部作がこの立場。古代の地球にウルトラマンが存在しており、そのDNAを受け継いだ現代人が変身したのがウルトラマンティガたちであって、だからウルトラ戦士が地球(人間)を守るのは不思議なことではないと理解される。ここで見られるのは、「自分たち」をかなり拡大した上で、「自分たちを守る」という論理によってウルトラ戦士の戦いを正当化することだ。(なお、平成三部作のウルトラ戦士たちを地球出身としたせいで、昭和のウルトラ戦士と平成三部作のウルトラ戦士は作品世界が異なることになるため、映画などで共演させるためにはパラレルワールドを設定するなどの工夫がされている。)
ということで、あえて乱暴にまとめるとするならば、平成版ウルトラセブンと平成三部作におけるウルトラ戦士の戦いの論理の違いは、前者が「先住種族を守る」であるのに対して後者が「自分たちを守る」ということになる。これを普遍的人権とナショナリズムの葛藤と捉えるかどうかは別の機会に考えるとして、今年のウルトラ映画との関連では、「日米軍事同盟のためにアメリカが日本を守ってくれるのだとしたら、アメリカが攻撃されたら日本はアメリカを助けに駆けつけるのか」という問いが重要になる。
話はそれるけれど、タイでは日本のウルトラ・シリーズと別にオリジナルのウルトラ作品が作られていて、あるときタイ人に「日本ではウルトラマンが助けに来るのはアメリカの軍事同盟のためだという議論がある」という話をしたら、タイでは多くの人はウルトラマンと言えば日本から来ていると思っていると聞いた。困ったときに日本から助っ人がやってくるというのは、ODAと重ねて理解されているようで興味深い。


さて、前置きが長くなったが、今年公開された「ウルトラ銀河伝説」は、ウルトラ戦士が暮らすM78星雲「光の国」が敵に襲われて全滅の危機を迎えるという話だ。あらすじは以下の通り。
「光の国」のエネルギーの源泉は人工太陽「プラズマスパーク」。かつてプラズマスパークを手に入れて宇宙の支配者になろうとしたウルトラ戦士の1人ベリアルは、失敗して捉えられ、宇宙の牢獄に幽閉されていた。このたび、そのベリアルが復活し、怪獣たちを操るアイテム「バトルナイザー」の強化版であるギガ・バトルナイザーによって怪獣100体を操り、「光の国」を襲撃した。ベリアルはウルトラ戦士たちをばったばったとなぎ倒し、プラズマスパークを手に入れる。ウルトラ戦士たちはエネルギー源を失って凍りつき、かろうじて生き残ったメビウスはレイオニクスである地球人レイに助けを求める。レイオニクスとはレイブラッド星人の遺伝子を受け継ぐもので、バトルナイザーによって怪獣を操る能力を持つ。ベリアルが怪獣を操れるのはレイブラッド星人と合体したためだった。メビウスやレイはベリアルとの戦いに苦戦するが、レイは自分が持つバトルナイザーをベリアルのギガ・バトルナイザーと直結させることでベリアルの支配下にあった怪獣たちのコントロールを奪い、最後は新ヒーローのウルトラマンゼロが駆けつけ、べリアルを倒したのだった。
さて、ウルトラ戦士が暮らす「光の国」がアメリカだとすると、「光の国」の危機に際してメビウスがレイに助けを求め、レイとともに地球人たちが「光の国」に向かったのは、日米軍事同盟のもとでアメリカが敵の攻撃を受けた場合に日本がアメリカを救うために支援に向かうという話と重なっている。そのことを確認した上で、もう少し細かく見てみよう。
まず、「光の国」の敵であるベリアルをどう捉えるか。「アメリカの敵」といってもいろいろ思いつくだろうが、ここではひとまず通俗的な理解に乗っかってイスラム教徒のテロリストたちとする。
ここで興味深いのはベリアルが強大になっていく過程だ。ベリアルはもともとウルトラ戦士の血統を引いているが、さらにレイブラッド星人と合体することで怪獣を操る力を手に入れていた。ウルトラ戦士をアメリカとする設定に従えば、レイオニクスはイスラム教ということになる。地球人のレイオニクスであるレイが怪獣を操って危機を乗り切ることからも明らかなように、この物語で怪獣や怪獣使いそのものに悪という価値は与えられていない。バトルナイザーで怪獣を操ることで正義を行うことも悪を行うこともできる。こう考えれば、バトルナイザーを使って怪獣を操ることができるというのは、聖典を解釈する力によって民を教え導く力と重ねて理解できるだろう。
さて、ベリアルが強大な力を得たのは、バトルナイザーに加えて、ウルトラ戦士のエネルギー源であるプラズマスパークを手に入れたためだ。バトルナイザーで怪獣を操るだけでは悪の権化にはならず、さらにウルトラ戦士のエネルギー源と合わさる必要がある。イスラム教がテロリズムを起こすという議論に対しては、イスラム教の教えそのものにテロリズムが内包されているのではなく、西洋近代と結び付いたことによってテロリズムという形態が取られるようになったのであり、テロリズムの源流はイスラム教の教義ではなくむしろ西洋近代であるという議論があるが、この議論と対応している。
さらに、ベリアルの倒され方も興味深い。ベリアルが怪獣たちを従えているのはバトルナイザーのためだった。バトルナイザーは、聖典の解釈を示して人々を動員する手段と見ることができる。ベリアルがバトルナイザーを発動する(聖典の解釈を提示する)と、それに従って100体の怪獣たちが動員された。それを阻んだのは、ウルトラ戦士ではなく地球生まれのレイオニクスであるレイだった。レイは、自分のバトルナイザーをベリアルのバトルナイザーに接合することで怪獣たちをベリアルのコントロールから解放した。これは、聖典の解釈によって動員されていた人々に対して、聖典の異なる解釈を示すことで洗脳を解いたということだ。怪獣たちははじめ葛藤するが、レイが示す聖典の解釈を支持してベリアルのコントロールから離れていく。
レイは地球生まれのレイオニクスであり、ウルトラ戦士ではない。したがって、ウルトラ戦士たちのように、自分の力で怪獣を退治して道を切り開いていくことはできない。常に聖典の解釈を示すことで怪獣たちの支持を取り付け、それによって道を切り開いてきた。レイは、(レイオニクスが一般化していないという意味で)レイオニクスにとっての辺境の地で生まれ育ち、現地化した存在である。レイオニクスをイスラム教に重ねるとすれば、レイは中東を中心とするイスラム世界から見た辺境で生まれ育ち、現地化したイスラム教徒ということになる。東南アジアや日本のムスリムとちょうど重なる存在だ。東南アジアのムスリムならプラナカンだし、日本のムスリム(その多くはムアラフだろう)もプラナカンだと言える。ということで、このブログの関心に引きつけてまとめるならば、「ウルトラ銀河伝説」は、力づくで決着をつけるという文化が地球規模で広がって各地で問題を起こしている今日、東南アジアのムスリムや日本のムアラフをはじめとするプラナカンたちが世界を救うというとても力強いメッセージを発している物語なのだ。
(プラナカンについてはさしあたりこちらプラナカン博物館 - ジャカルタ深読み日記
辺境意識を持っていると、正統性を掲げることで相手を黙らせることができない。だから言葉で相手を納得させるしかない。来年の抱負を挙げるとしたら、教育や報道や文芸など、それぞれの道で言葉によって人々にメッセージを伝えようとしてきた人たちの営みにもう少し目を向けていきたい。