マレーシアの職場に私用電話が多いわけ

46ヵ国のSNS利用を調査したところ、インターネットの交流サイトでの友達(ネットフレンドとかネット友達とか呼ぶらしい)が世界で最も少ないのが日本人、最も多いのはマレーシア人だったらしい。このニュースが流れてから、どうしてマレーシアではネットフレンドが多いのかが私のまわりで話題になっている。
これ1つですべて説明できるという明確な答えは出ていないのだけれど、私の答えは、マレーシアで広く見られる職場の私用電話がインターネットという形をとって行われるようになったということ。
背景にはマレーシア社会の流動性の高さがある。生活の主要な基盤である住居と生業を見ても、マレーシアではどちらも1つのところに長くとどまろうとする考え方が強くない。職場なんて、1年に2回も3回も転職することも珍しくない。
このような社会では、人脈を作るときに職場の連絡先を聞いているだけではだめで、携帯電話番号を聞くなど、個人と個人のつながりの方が重要になる。職場の連絡先しか知らないと、知り合って半年後ぐらいに連絡を取ろうとしても、すでに退職した後だったということになりかねない。
しかも、いざというときに助けてもらえるように、日頃から些細なことで世間話をして良好な関係を作っておくことが大切になる。インターネットが普及する以前、役所や民間企業で、従業員が勤務時間中に私用電話をかける姿がよく見られた。私用電話が堂々と認められているわけではなく、上司が来たら電話を切ったりするのだけれど、社会全体の雰囲気として私用電話を認める雰囲気があった。
ヤスミン・アフマドの『グブラ』でも、ティマがクリニックに行くと受付の女性が私用電話していたし、アリフがオーキッドと一緒に浮気相手のラティファの職場に行った時も、受付の女性がアリフを待たせて私用電話をし続けていた。どちらも話しているのは大した内容がない話で、新しい料理のレシピを紹介しあったりしているのだけれど、そうやって些細なことをしてあげたりしてもらったりすることで、いざというときに助け合う関係を維持している。私用電話などで日頃から何人と繋がっているかがその人の持つ潜在的な力であり、そのため、それが明らかに私用電話であっても間接的には職場のためにもなると考えられているところがある。
最近では、職場の固定電話にかわってインターネットや携帯電話という形に移ってきて、そのためにマレーシアではネットフレンドが多いということではないだろうか。


マレーシアはテレビや新聞などのマスメディアが検閲されていて、人々は検閲のない本当の情報を求めてインターネットの世界に行くという説明をする人もいるそうだけれど、私はこの考えにはあまり説得されなかった。
マレーシアには民族問題など政治的に敏感な問題があり、それを煽ると国民の間で混乱が起こるという理由でときどき新聞や雑誌の発行免許が政府によって取り上げられることがあるため、それを避けるためにマスメディアが自己規制しているというのは正しい。それに対して、1996年から政府が国家事業としてインターネットの普及に取り組んでいるため、インターネットの世界では検閲がなされていないというのもそう。
でも、このことをもって「マレーシアの人びとはマスメディアを信用していない、インターネットの登場によって人々は別のメディアを持つようになった」というのは言いすぎだろうと思う。これだとインターネットが登場する前はマレーシアの人びとはマスメディアに騙されていたような言い方ではないか。
テレビや新聞は政府に都合がいいことを多く報じる傾向があることはインターネット登場以前からマレーシアの国民の間でもだいたい共有されていた。だから、私用電話をしたり市場やモスクでおしゃべりしたりしていろいろな噂を仕入れて、それによってマスメディアの報道内容を割り引いて受け入れていた。
それに、インターネットで情報収集することと友だちを作ることは一緒ではないだろうと思う。
インターネットの登場によって情報の流れがある程度変わったことは確かだけれど、それをあまり大きく評価しすぎると、インターネット登場以前の人びとの知恵や工夫に目が向かなくなることになりかねない。
ついでに書いておくと、「マレーシアは言論の自由がない」というのはかなり言いすぎ。日本だって、皇室関係のように特定の話題については自己規制したりするでしょ。マレーシアのテレビや新聞がやっているのもそれと同じようなもの。


マレーシアにネットフレンドが多いことの背景として他に考えられるのは、マレーシアが世界の様々な地域にゆかりのある人びとから成り立っている多民族社会であること。よく「マレーシアは多民族社会だ」と言われるし、そのこと自体は間違っていないのだけれど、単に国内に民族がたくさんいるということではなく、それぞれの民族が国境の外の世界とつながっているという特徴がある。マレーシア国内には3000万人弱しかいなくても、英語や中国語などのいろいろな言葉でもっと多くの人とコミュニケーションできる可能性がある。
このように、中華文明、インド文明、イスラム文明、西洋文明のように、世界の主要文明を受け継いで背負っていると自覚している人々が集まって1つの社会を作っているのがマレーシアの特徴だ。その意味でマレーシアはいわば「世界の縮図」であって、だからマレーシアでの人間関係の作り方を見ると世界全体での共生のヒントが得られるという話にも繋がってくる。
でも、こういった話をひっくるめて誰にでもわかるような言い方にしようとすると、「マレーシアは多民族だから」というわかったようなわからないような言い方しかできなかったりする。この点は我ながらまだまだ修行が足りないと思う。