サンシャワー展(3)

サンシャワー展では映像作品がよかった。
特に「ヌサンタラ」は思わぬ掘り出し物だった。6本の短編を全部観たら1時間以上かかった。内容がよかったので1時間でも2時間でもいいのだけれど、これ以外の作品も含めて、映像作品は何分ぐらいなのかが事前にわかると見通しを立てやすくてよいように思った。
以下は映像作品のいくつかについてのメモ。


「ハッピー&フリー」
この作家は映画監督で、フランスで活動経験があるせいか日本では最初に「ブー・ユンファン」と紹介されて、そのうちに「ブー・ジュンフォン」になったと思っていたら、今度は「ブー・ジュンフェン」になった。漢字で書くと巫俊峰で、姓はともかく名前は北京語の発音をローマ字にしているようなので「ジュンフォン」がいいように思う。
「ハッピー&フリー」のメインはカラオケルームだけど、その部屋に入る前に壁に何枚かポスターが貼られている。シンガポールが1965年にマレーシアから分離独立していなかった場合の仮想の世界で、10年ごとに行われたであろうマレーシア結成記念のポスターをそれぞれテーマ入りで描いている。どれもいかにもありそうなテーマとポスターで、すでに気合十分。
カラオケルームでは、マレーシアとシンガポールが一緒に迎えた50周年を祝う歌がミュージックビデオつきでカラオケになっている。過去の映像資料を入れたりしていてこれまた手が込んだ作りだけど、何といってもこの作品の最大の魅力は曲の乗りのよさ。
原曲は「チャンマリチャン」。説明には歌謡曲とあったけれど、民謡または童謡の方がよいだろう。特定の歌手の持ち歌ではなくて子どもがよく歌う歌で、マレーシアとシンガポールでは知らない人がない歌の1つ。インドネシアでもチャチャ・マリチャという名前で知られているらしい。
シンガポールでは独立記念日のテーマソングに使われたこともあるので、シンガポールの非マレー人の間で2番目によく知られているマレー語の歌かも。(一番目は国歌。)
「チャンマリチャン」は、僕のヤギはどこにいるんだろうか、僕の好きな子はどこにいるんだろうかという筋があるようなないような歌で、特に途中の「チャンマリチャン」の部分はどういう意味なのかみんなよくわかっていないけれど歌っている。(「僕の好きな子」の名前だという説が有力だけれど誰もそんなことを気にしていない。)誰もが馴染んでいるけれどその意味は実はよくわかっていない(あるいは、意味がよくわからないからこそみんなが受け入れられる)という曲を土台にして、マレーシアとシンガポールのあり得たかもしれない共通の夢を歌っている。
ミュージックビデオで歌っているのは、どちらもマレーシア生まれで主にシンガポールで活動している2人。民族性は男性がマレー人で女性が華人、主な活動の場は男性がYoutubeで女性が映画や舞台という組み合わせになっている。
女性の方は『881 歌え!パパイヤ』や『ムアラフ』や『イロイロ』で日本でも知られているヤオ・ヤンヤン(Yeo Yann Yann)。
男性の方のヒルジ・ズルキフリ(Hirzi Zulkiflie)は、友人のマイムナとMunahHirziというユニット名で主にYoutube上で活動している。毎年の断食明けに投稿する動画もなかなか工夫されているけれど、私の今のところのお気に入りは「Flawless Singaporean Parody - Beyonce」かな。2015年には毎年6月頃に行われるシンガポールLGBTコミュニティのPink Dotミーティングでマレー人初のアンバサダーに選ばれた。
「ハッピー&フリー」の会場はカラオケルームの設定。ソファーに座って映像を見ながら聞くことができる。ステージにカラオケのセットとマイクがあるけれど、来場者がカラオケで歌ってもいいのだろうか。


「ヌサンタラ」
近隣地域からシンガポール/マレーシアにやってきて、出会いと別れを経験して今があるという6人の物語。カメラの方を向いて自分の経歴を語っているだけだけど、どの話も内容に迫力があって、しかも実話に基づいているというので、サンシャワー展で私の一番のお気に入りの作品。作家は映画『はし』などのシャーマン・オン監督。
福建系の家に生まれた娘が海南系の恋人を紹介したら「あれは使用人階級だから交際はやめなさい」と言われた話とか、日本軍が攻めてきたときに家族と逃げる途中でシンガポールに1人残された娘の幽霊の話とか、アチェ独立運動のためにインドネシアにいられなくなった父に連れられて子どものころにマレーシアに来た話とか、ボルネオ島のリゾート地で中国人夫婦の警護をしていたら一緒に誘拐されててフィリピン領に連れ去られた話とか、いろいろな話が詰まっている。
作品全体のタイトルは「ヌサンタラ」だけど、それを構成するそれぞれのエピソードは「motherland」と呼ばれている。6人の話では、シンガポールに来ることで生まれ育った土地と離れただけれなく母親とも別れている。
各エピソードとも演者が実名で出ていて、各エピソードのタイトルに演者の名前がついている。演者はそれぞれ英語や中国語やマレー・インドネシア語で話すのだけれど、生まれ育ちがわかるような言葉遣いで話していて、それが話の内容とうまく合致しているので、本当にこの演者の経験を話しているのかと思ってとても驚いた。ただし実際は実話をもとに脚本を書いてそれを演者が語っているようだ。
6つのエピソードのうちなぜかXiao Jingのものだけネット上で公開されていて、「motherland」「xiao jing」あたりで検索すると出てくる。それを観た人はこの演者の実際の経験だと思うんじゃないだろうか。
演者についていろいろ知りたいところだけれど、6人の演者のうちわかったのは2人だけ。
Azman役のAzman Hassanは真利子哲也監督の『Fun Fair』(『同じ星の下、それぞれの夜』)に出ているマレーシアの役者。映画出演は2005年以降で、大予算の商業映画にはほとんど出ずに華人系の監督の小規模予算の映画に多く出ている。エピソードはそのことをうまく説明する内容だったので本当に実話かと思った。
Verena役のVerena Tayは英語で舞台の脚本を書いたりする人。「Balik Kampung」シリーズなどの本も出していて、シンガポールのティオンバルにあるアクチュアリー書店でこの本を見つけて買おうとしたら、ちょうどその場にいて本にサインしてくれた。
それ以外の4人はよくわからなかった。事情通からXiao Jing(肖静?)は新芸舞団の関係者ではないかとの情報を得たけれどわからない。作家についてだけでなく演者についての情報もあるとありがたい。


「来年」
作家はミン・ウォン。少し前に品川の個展を見に行ったと思っていたが、2011年でけっこう前のことだったか。そのときは同じ作品の演者を入れ替えたり少しずつ違うリハーサルの映像を重ねたりして映像を通じて実験する作家だという印象があったけれど、この作品もそうだった。
もとになる映画があって、その映像に重ねたり差し挟んだりしてミン・ウォンの物語が入ってくる。もとになった映画の『去年マリエンバートで』(1961年)は、4つの物語をバラバラにして繋げて登場人物たちの記憶の違いを見せた実験的な映画らしい。そこにさらにミン・ウォンの物語が挟まれて、時制を変えた字幕が重ねられていく。目がチカチカするのを辛抱しながら観たけれどわかりにくい。読み解きのヒントがもう少しほしいと思った。


サンシャワー展についてはとりあえずここまで。森美術館は1回ざっと見ただけなので、東京に行く機会があれば時間をかけて観てみたい。