2002年、「災害の時代」の幕開け

昨日買った2冊のうち『Bumi yang Terluka』は、キリスト教徒の立場からインドネシアの自然災害について解説した本。
聖書などを引用して、地球を含む自然界が神の力の証であること、イエスさまたちがさまざまな自然災害に対応してきたことなどを一通り説明した上で、今の自然界は環境の悪化という問題に直面しており、意識を持ってこの問題に取り組もうと呼びかけている。
はじめのうちは聖書などの記述をインドネシアに当てはめた後付けの説明ではないのかという印象を受けたけれど、そうやってまず読者をひきつけておいて、そのためにわれわれ人間が努力しようという方向に持っていっているところは勉強になった。


それはともかく、興味深いのは前書きの2点。
この本を書くきっかけになったのは2002年の首都ジャカルタの大洪水だったらしい。それ以来、2003年にはリアウ、ジャンビ、パルで洪水が起こり、2004年に入るとプルウジョで土砂崩れがあり、そして2004年12月にはニアスが波に飲み込まれたと書いてある。水と土砂は違うような気もするが、少なくともこの本の著者にとっては2002年からインドネシアが災害の時代に入ったということなのだろう。ところで、2004年12月といえばまず思い出すのはアチェではないのか。イスラム教との結びつきが強いアチェに対して、キリスト教徒としてはニアスの方がなじみがあるということなのだろうか。もっとも、2004年の津波ではアチェの被災と復興ばかり強調されていて、アチェ州の一部でないニアスがほとんど関心を向けられていないことを考えると、これはこれで1つの見識なのかもしれない。
もう1つ興味深いのは、「備えあれば憂いなし」ということを言うために、なぜかマレーシアとインドネシアの国境付近にあるシパダン島リギタン島が2002年に国際司法裁判所でマレーシアへの帰属が認められたという全然関係ない話を挙げていること。インドネシア側が自分たちのものだと唱えるだけで何もしていなかったのに対して、マレーシア側は島の環境保護の努力を行っていて、そのためマレーシアの領有が認められたのだとまとめ、だからわれわれもこれから外国人が珍しがる国内の自然環境を保護しようと訴えている。言いたいことはわかるけれど、自然災害の話なのにどうしてわざわざシパダンとリギタンの例を出すのか。逆に見れば、シパダンとリギタンがマレーシアに持っていかれた(とインドネシア側は思っている)ことはインドネシアにとってとても大きなbencana(災害)だったのかと改めて強く感じた。(同じ年に東チモールが独立したのでインドネシアが領土を削られることに敏感になっていたせいもあるだろうけれど。)


このところ、マレーシアがマレー語の歌を歌ったらインドネシア著作権とか言い出して難癖をつけてみたり、マレーシアが国内のキリスト教出版物にAllahという言葉を使ってはいけないと言い出してインドネシアの出版物を締め出そうとしたりと、インドネシア・マレーシア間で無茶な嫌がらせ合戦(に見えること)が続いている。マレーシアでのインドネシア人労働者の扱いなど背景はいろいろあるだろうけれど、シパダン・リギタンの帰属問題が表面化のきっかけの1つだったのだろう。けんかするなとは言わないけれど、お互いもうちょっとクールにできないものかと思う。


インドネシア・マレーシア関係の関連サイト
マレーシアVSインドネシア・・石油と領土とプライド : 娘通信♪