ジャワ・ジャズ・フェスティバル

先週末、ジャカルタでジャワ・ジャズ・フェスティバルが開催された。アジアで最大のジャズ・フェスティバルだそうで、地元の新聞でも取り上げられたりと、かなり注目されている。50万ルピアの入場料を払って何万人も聴きに来ているというにわかに信じがたいほどの人気だったらしい。ちょうどマレーシアの総選挙と重なってしまったため、残念ながら私は聴きに行くことができなかった。


ジャワ・ジャズ・フェスティバルは、2004年の津波などでインドネシア社会全体が落ち込んでいたとき、テロや災害が多発するインドネシアというイメージを吹き飛ばそうと始められたらしい。だから、津波被災から3年経った今回が4回目の開催となる。
このジャワ・ジャズ・フェスティバルに4回連続で出演しているという地元の邦人ビッグバンド「ギャラクシー」のコンサートマスターはじめメンバー2人とお会いする機会があった。
せっかくの機会なのだから音楽のことについて聞けばよかったのだろうけれど、私にとってはバンドの成り立ちの話がとても興味深く、ついそれから連想される話の方にどんどん話題が流れていってしまった。
企業駐在員などジャカルタ在住の日本人が結成しているバンドなので、メンバーが帰国するとバンドを抜けざるを得ず、メンバーを確保するのが大変だそうだ。それでもこのフェスティバルに第1回からずっと出演しているというのは、そのような厳しい条件にありながらもこのバンドが高い水準を維持しているということなのだろう。
メンバーの出入りが激しいことは、バンドを運営する側からすれば苦労の種になるだろうけれど、でもそれこそがこのバンドがジャカルタの地元バンドらしいところなのかもしれないと思った。


東南アジアはもともと人の出入りが激しい土地だ。世界各地からいろいろな人がやってきて、しばらく滞在して別の土地に移ったり、あるいは長く住んで現地化したりして、いろいろな文化が混ざった社会が作られてきた。極端に言えば一期一会になりかねない人たちどうしのあいだで、騙しあわずに協力するための人間関係のあり方が発展してきた。
さまざまな文化的背景を背負った人々を結ぶ役割を果たしたのが書物だった。かつて東南アジアのイスラム教圏ではアラビア文字が使われていた。アラビア文字では母音を書かないため、しゃべると方言差が大きくて互いに通じなくても文字で書くと方言差が薄れて通じやすくなる。そのため、アラビア文字で書かれた書物は民族・宗教の違いや国境を超えて人々をつなぐ働きをした。これは、言葉でない部分で人々を結びつけるように働く音楽と重なるところがある。
また、このような社会では、混血者が重要な役割を果たしてきた。地元に定着した人たちの間で地元文化を作り上げようとする動きがある一方で、複数の文化を身につけた文化的な混血者を積極的に受け入れることで、活気のある社会が作られてきた。
ギャラクシーは、さまざまな背景を持った多様な人々が集まってできている点で、東南アジア社会の縮図のような特徴を備えている。(その名前から考えれば、東南アジアの小宇宙と言うべきだろうか。)しかも、ジャカルタで生活している日本人がメンバーになっているため、日本とジャカルタの両方の文化を兼ね備えている「文化的な混血者」たちから成り立っている。
ギャラクシーが地元ジャカルタで人気が高いのは、このバンドの成り立ちが醸し出す独特の雰囲気がジャカルタの人たちによく馴染むからなのかもしれない。そして、ジャズという形式がそれをさらに際立たせているのではないか。そう言ったら深読みのしすぎだろうか。


ギャラクシーのメンバーは、おそらくそんな小難しいいことを考えて演奏しているわけではなく、コンサートマスターが言っていたように、自分たちで楽しいと思っていることをしているだけなんだろう。でも、その楽しみ方の中に、いろいろな人が集まって1つの「社会」を作り、それを維持し続けているさまざまな工夫が現れているのだろうと思う。
まあ、いろいろ書いてはみたけれど、結局のところは聴いてみなければわからない。今度は話だけでなくぜひ演奏も聴いてみたい。