「定説を覆す努力を」

この時期は学会が毎週末のように続く。学会に出て感じたことを2つ。互いに違う話だけれど、「建設的な論争」ができないという点で共通している。


今回参加した学会で特に目立ったのは、あるシニア研究者の頑迷さだった。自分の学説と違う学説に基づいた研究発表をした若手研究者に対して、発表の本筋と全く関係ない現地語のカタカナ表記について質問して無駄に時間を取っていた。
マレーシアの多数派民族であるマレー人のことを英語ではMalay、マレー語ではMelayuという。日本語では一般的には英語に従って「マレー」と表記するけれど、「マレー」だとマレーシアのマレー人だけ指す印象があるため、マレーシアとインドネシアのマレー系をあわせて「ムラユ」と呼んだりするなど、研究者や研究書によっては理由をつけて「ムラユ」を使うこともある。
このシニア研究者も、ご自身なりの「ムラユ」定義がある。そこまではいいんだけれど、ご自身と違う立場で「マレー」と「ムラユ」を使った若手研究者に対して、「そのムラユはマレーでなければならない」と主張しはじめた。
その研究発表は特にムラユの定義に関するものだったわけでもないし、そのシニア研究者のムラユ定義が定説になっているわけでもない。むしろ、「英語だとマレーでマレー語だとムラユになります」と答えた若手研究者の方が一般的な理解に近いと思うし、会場の参加者の多くもその説明に納得していた様子だった。それなのに、このシニア研究者は「ムラユ概念は第二次大戦後に出てきたものなので報告内のムラユはマレーとしなければならない」と自説を唱え続けた。そりゃあ第二次大戦後に「ムラユ」に新しい意味が込められたということはあるかもしれないけど、ヨーロッパ人が東南アジアに来る前からマレー人はマレー語でムラユって呼ばれてたんだから、ムラユって呼んで悪いわけがない。
このシニア研究者は、これまで長くマレーシア華人研究の第一人者として知られてきた。シニア研究者は、人は生まれながら何らかの民族に属しており、その民族性は基本的に生涯変わることがないとか、マレーシアは植民地支配者であるイギリスに独立闘争を挑まなかったので政治意識が十分に成熟しておらず、その帰結として国内に複数の民族がある状況がある、というような一昔前にはやった立場を取っている。若手研究者の方もマレーシア華人が主な研究対象で、しばらく前から各種の学会でも積極的に研究発表をするようになり、学術雑誌にも論文をいくつか掲載している。若手研究者は、武装闘争に打って出なかったマラヤ/マレーシアを貶めるようなシニア研究者の見かたとは違う立場を取っていて、学会や研究会のたびにシニア研究者から「お叱り」を受けているけれど、そのたびに説得力を高める努力をしながら自分の主張をし続けている。そういう背景もあって、今回もこのシニア研究者側にとにかく相手をつぶしてやろうという意図が見え見えで、それが学問的な議論のような形をとりながらもまったく学問的なやり取りでなかったので、見ていて愉快でなかった。
ところでこのシニア研究者、このやりとりでは飽き足らなかったようで、大会の閉会式の挨拶で「今回の大会で議論されたことが学説として認められたとは考えないように」と言っていた。確かに学会で議論されたことが直ちに学説として認められるわけではないというのはその通りで、研究では常に既存の研究に対して批判的であるべきなのだけれど、でもこの発言は、その場にいた多くの人に「自分の学説は正しい、それに従っていない研究は間違っている」と聞こえてしまった。
このシニア研究者は、以前「定説を覆す努力を」という文章を書いたことがある。若手研究者に対しては「定説を覆す努力を」と呼びかけておいて、自分の研究に対する批判的な研究が現れると何としてもつぶそうとするとは、なんと頑迷な態度であることか。シニア研究者が「自分を乗り越えて行け」という態度をとるのはおおいにけっこうだけれど、乗り越えたかどうかを当のシニア研究者が判定するという態度をとる限り、今回のようなおかしな話になりやすいのではないか。


これと別に、この大会では文献資料の使い方とフィールドでの観察結果の使い方についての議論も盛り上がった。インタビュー調査は決して客観的や透明な存在として行うことはできない、インタビューされた側は、それが学術研究のためで、いずれ論文や本のかたちで発表されるということを理解した上で答えている、調査者はそれをどう見極めるのか、というような話になった。これ自体はいろいろなところでしばしば問われる問題だろうけれど、それに関して休憩時間の立ち話で「自分は現地人研究者が聞いて納得するような研究成果しか自分の研究として発表しない」という研究者の話が出たのでたまげてしまった。
そんなことが言えるということは、その人が付き合っている現地人研究者は常に全体として定まった意見を持っているということになるか、あるいはとても限られた範囲の研究者としか付き合っていないということになる。どんなに均質な社会に見えたって内部の意見の違いはあるはずなのに、ましてや多民族・多宗教のマレーシアで「現地人研究者が聞いて納得するような研究成果」だなんて、それがあると思っているところがまずおかしい。
さらに、仮に「現地人研究者が聞いて納得する研究成果」なるものがあるとして、それを実際に手に入れることができると思っていることもいろいろな意味でおかしい。
もし「現地人研究者」のあいだで複数の意見があることを認めるのならば、そのうち特定の人々を「正しい」意見を持った人たちと認めることになる。どうしてその人たちだけを「正しい」考え方の人だと認定することができるのか。自分の考えを受け入れてくれる人だけを「正しい」と言っているのか、あるいは何らかの基準で選んだ人たちが言っていることをそのまま受け入れているかではないのか。どちらにしろ、現地人研究者と論争になることはないだろうが、そんな研究成果を出すことにどんな積極的な意味があるのか。
どうして論争をそんなに恐れているのか。同じ素材を使ったら誰が書いても同じ結果が出ると思っているのか。自分の立場はいったいどこにあるのか。まるで検定済み教科書を書いているみたいじゃないか。
私は、マレーシアの学会や研究会で研究発表するたびに批判を受けるという状況に慣れているので、この感覚が理解できない。マレーシアでは、意見の違いを表明するのは話ができる仲間として受け入れている証拠だ。他人の意見を聞いたとき、それに対する自分の意見を言わないととても嫌がられるマレーシア社会で、「現地人研究者に納得してもらえる研究成果」なんてあるはずがない。私は、マレーシアで研究発表するときは、「自分の立場としては決して納得はしないけれど、でも明確に反論できないからそういう考えがあることは認めざるを得ない」という反応をさまざまな立場の人からもらうことが目標だと考えている。そうすることで、ガイジンが変わったことを言っているけれど、もしかしたらそういうこともあるかもしれないな、とマレーシアの人たちが自分たちのことを考え直す契機にもなるかもしれないという期待もある。よそ者として研究することの積極的な意義はそういうところにあるのではないかと思う。