マレーシアで見つけた本

シンガポールから国境を渡ってマレーシアで見つけた本。


Wong Seng Chow. Rice Wine & Dancing Girls: The Real-Life Drama of a Roving Cinema Manager in Fifties Malaysia and Singapore. (Monsoon, 2008)
1950年代と60年代にマラヤ/シンガポールの映画産業の基礎を作った1人であるWong Kee Hungの伝記。日本占領期後のシンガポールキャセイ映画館でのキャリアを開始し、バトゥパハ、クチンを経て1955年から64年までジェッセルトン(現コタキナバル)で勤めた時期まで。元マラヤ共産党ゲリラとの関わりなどスリリングな場面もあるけれど、タイトルからイメージされるようにゆったりとした日々の思い出が綴られている。
伝記中のジェッセルトン時代にあたる1955年からの10年間は、ちょうどジェッセルトンを首都とする北ボルネオのマレー語文芸の興隆期に当たる。1956年に日刊紙のマレー語コーナーが整備され、インドネシアやマラヤのマレー・インドネシア語に習うのではなく地元の特徴を備えたマレー語で表現すべきという「サバ語」運動が唱えられたのがこのころ。その活動はAGABAというマレー語文芸団体の結成につながり、マレー語文芸祭典である年次のAGABA祭が行われた。(興味深いことに、これらの活動の中心を担ったのはプラナカンたちだった。)ただし、AGABA祭典が1960年に「原住民の日」として祝日化された際にカダザン人の収穫祭に「すり替え」られて今日に至る。このように、1950年代半ばから60年代半ばまでは北ボルネオでマレー語文芸を1つの軸として民族意識の興隆が見られた時期で、そこでは映画や巡回劇団も密接なかかわりがあった。その受け皿となる映画館がマラヤやボルネオの各地で作られていた様子がうかがえる。


Pranav S. Joshi. Behind a Culturel Cage. (Armour, 2007)
インド生まれでシンガポール在住の著者が、インド生まれでシンガポール在住の華人を主人公に、「自分はグローバリズムの勝者として存在しているのか、それともグローバリズムの犠牲として存在しているのか」と問いかけている小説。


林悦『榴槤国度:A State Callede Home』(Seashore, 2008)
マレーシアで今かなり売れているらしい。マレーシア(ただし半島部のみ)の各州をまわって、自分がマレーシア人であることについて考えながら書いた文章をまとめたもの。最終章では2008年3月の総選挙にも触れている。今どきのマレーシア華人がマレーシア人であることをどう考えているのか、少し落ち着いて読んでみたい。


Angeline Koh. How the Moken Sea Gypsies got their Book: Naw Say Bay's story as told to Angeline Koh. (NavMedia Singapore, 2007)
タイとミャンマーの国境をまたぐ海域に住む海洋民族モーケンに関する本。2004年のインド洋津波に関連して興味があったので手に取ってみた。