マレーシア映画「チチャマン2」

「チチャマン2:暗黒の惑星」(Cicakman2: Planet Hitam)を観た。マレーシアで大ヒットしたヒーロー映画「チチャマン」の続編。傑作の続編を作るのは難しいとよく言うけれど、チチャマン2は残念ながらその例外にはならなかった。前作があまりによかったので期待が膨らみすぎたのかもしれない。
まずは前作のおさらい。拝金都市国家メトロフルスの支配をもくろむプロフェッサー・クローンは、自分の研究所で秘密裏に開発したウィルスをまき散らす一方で、そのワクチンを提供して大金を儲けようとしていた。あやまってヤモリ(チチャ)を飲み込んでしまった研究員のハイリがヤモリの力を身につけ、チチャマンとなってプロフェッサー・クローンの野望を打ち砕く。プロフェッサー・クローンの手下でコミカルなジンジャーボーイの2人はチチャマンとの戦いで敗れる。ハイリの親友デニーはその戦いに巻き込まれて命を落とす。デニーを慕っていたタニアは、デニーはチチャマンとして自分を救うために命を落としたと思いこみ、デニーを助けなかったとハイリを恨む。プロフェッサー・クローンの野望は打ち砕かれたけれど、ハイリとタニアはデニーを失った悲しみのなかでそれぞれの道を行く。


前作で十分売れたはずなのに、今度は外国でもさらに売れるように狙いすぎたためか、売れ筋の映画シーンをあれこれ盛り込んで、そのためつぎはぎの印象を与えてしまっているのが残念。追跡劇で道端の野菜いっぱいの屋台に突っ込むシーン。カンフーでの格闘。高速で走りながら戦うカーチェイス。そして墓場のようなところで人魂と戦うゴーストもの。地下にある秘密基地。場面場面を切り取ると笑えるものもあるのだけれど、次のシーンにつながっていかない。
それから、物語の設定がわかりにくかった。プロフェッサー・クローンが世界中の水を汚して自作の浄水器を売ることで富と名声を得ようとするがチチャマンの働きで阻まれたという話はわかるのだけれど、それぞれの登場人物がどういう立場でどうふるまっているのかがわかりにくい。それはおそらくチチャマンの世界観が明らかでないからだろうと思う。舞台のメトロフルスは小国とはいえ自前のダムを持つほどの国なのに、大統領の国民に対する演説が路地裏のようなところで行われていて、まるで町内会。対する世界各国の悪玉の秘密会議も、これまた町内会。タニアがプロフェッサー・クローンの秘密基地に単独で潜入してビデオ撮影しているのも、秘密基地が学校の裏山にあるような印象を与える。拝金都市国家メトロフルスというのはとても魅力的な設定なので、もう少し想像をかきたてるような仕組みを物語に組み込んでほしかった。
そして、前作とのつながりがよくわからなかった。タニアはデニーを失ってハイリを恨んでいたはずなのに、どうしてハイリと親しそうにしているのか。ハイリはチチャマンになるのをやめたはずなのに、どうしてまだチチャマンになっているのか。プロフェッサー・クローンは前作の後にどういう経緯があって今回の姿になったのか。ジンジャーボーイたちはどうして前作で敵だったチチャマンと共闘するのか。そもそもジンジャーボーイたちの目的は何なのか。デニーの話が出てくるので前作とつながっていることは明らかで、そのため登場人物たちの関係がつかめずに混乱する。


おもしろいかどうかと別に、かなり気になったのは、悪玉の黒蝶娘がインドネシア語を話していること。マレー語(マレーシア語)とインドネシア語はもともと同じ言葉なので、お互いにそのまま話しても互いにほとんど通じるんだけど、イントネーションなどでマレーシア人かインドネシア人かは明確に区別できる。チチャマン2では、(最初に登場する悪人の男たちが広東語を話しているのを除いて)登場人物はみんなマレーシアのマレー語を使っているのに、チチャマンの敵である黒蝶娘だけはこてこてのインドネシア語を話している。インドネシアで上映したときに観客に親しみを持ってもらうためにインドネシア語を入れたということなのかもしれないけれど、悪役にインドネシア語を話させるのはかなりまずいだろう。
そういえば、前作でも敵の黒チチャマンは広東語を話していたし、チチャマン2でも冒頭の悪人たちは広東語を話していた。おそらくコメディーとして民族の典型的な造形をした方がいいという判断からで、他意はないとは思うけれど、でもこれだと悪者は自分たちの民族や国家の外から来るというメッセージが伝わるだろうし、しかもその異民族や外国人は実際に存在する人々の特徴をそのまま使っているので、そのあたりがとても気になる。


救いはデニーの盲目の妹役のシャリファ・アマニ。芸達者でとてもかわいかった。そしてもう1つ挙げれば、世界各地の異変を伝えるテレビニュースのシーンで、日本人がウルトラマンに助けを求めていたこと。ウルトラマンは日本だけでなく世界(少なくとも東南アジア)でも認知されているヒーローなのだと改めて実感した。