ゲイ雑誌「GAYa Nusantara」

まずは今回のインドネシア滞在で見つけた本の残り。


The Naked Traveler: Catatan Seorang Backpacker Wanita Indonesia Keliling Dunia. (Trinity, C Publishing, 2007.)
バックパッカーを背負ったインドネシア人女性がインドネシア国内外を旅した旅行記津波の翌年にアチェを訪問したとき、コンサートに行ったら会場で男女別々にされ、女性は体を覆う服装が求められたなどの話が書かれている。


The Journey of a Muslim Traveler: Sebuah Perjalanan melintasi Asia, Eropah, Amerika, & Australia. (Heru Susetyo, Lingkar Pena, 2009.)
ムスリムバックパッカーによる世界旅行記。気ままな一人旅の記録かと思ったが、訪問先は東南アジアでは南部フィリピン、南部タイ、カンボジアなどムスリムが少数派の地区で、ムスリムと他の宗教の信徒との関係を観察し、考察している。日本では浜松を訪れて日本人ムスリムの活動を紹介している。


Club Camilan. (Donna Talitha (et al.), Gramedia, 2009.)
3人のレズビアン女性による人気ブログ「Camilan Club」(おやつ倶楽部)の記事を編集して小説仕立てにしたもの。今年のジャカルタでのQ!映画祭で出版披露があったらしい。


さて、何日か前にも紹介したが、リンダ・クリスタンティのエッセイ集「Dari Jawa Menuju Atjeh」(ジャワからアチェへ)にインドネシアのゲイ雑誌「GAYa Nusantara」のことが書かれている。興味深いので雑誌の成り立ちの部分を紹介しておく。
中心人物はスラバヤ在住のデデ・ウトモ(Dede Oetomo)という人(ウェブ上ではデデ・オエトモという名前でいくつか検索に引っかかる)。1978年に奨学金を得て東南アジア研究のためにコーネル大学を訪れ、そこのゲイ・レズビアン・グループと交流して1979年に知人たちにカミングアウトした。1980年にネットワーク化が重要だと思いたち、Andaという雑誌の1980年7月号に「僕は自分が同性愛者だと気づいた」という記事を寄稿すると、15人の読者から手紙が来た。手紙のやり取りを続けていると、そんなに手紙ばかり書いているなら雑誌を出したらどうかと友人に言われ、1982年にインドネシア初の同性愛団体を設立し、「Gaya Hidup Ceria」という雑誌を創刊した。この雑誌は8号まで続いた。
デデ・ウトモ氏は1983年に博士論文執筆のためにアメリカの大学に戻ったが、しばらくして帰国すると同性愛がメディアでも取り上げられるようになっていた。
1997年末、GAYa Nusantaraが創刊された。1994年には12号刊行され、1995年に休刊した。(この部分の年号に関する記述が合わない。この後も1996年や2001年にGAYa Nusantaraが刊行されているらしい記述もある。現在ではGAYa Nusantaraのウェブサイトがあり、そこでニューズレターがダウンロードできる。)
興味深いことに、この本にはナショナリズム研究で知られるベネディクト・アンダーソンと著者リンダのあいだのGAYa Nusantaraについてのやり取りも記されている。アンダーソンは、インドネシアのゲイ・カルチャーは若者ばかりでタイのようなおもしろさに欠けるとコメントしている。
誌名に関して。「Gaya」とはインドネシア語でスタイルのこと。ヌサンタラとはマレーシアやインドネシアという国境によらずにマレー・インドネシア語が通じる東南アジアの海域世界の呼び方。「GAYa Nusantara」というのは見たとおり「ヌサンタラ・スタイル」と「ヌサンタラのゲイ」の2つの意味をかけているのだけれど、それを「インドネシアの」とせずに「ヌサンタラの」としているところに対象を境界によらないで捉えようとする見方が感じられる。