西スマトラの地震・続報2

2009年9月30日にインドネシアの西スマトラで発生した地震についてのインドネシア語情報をもとにした被災地情報の続報。
この数日、被災地入りした人たちの後方支援で情報収集していたけれど、3つの集落が地滑りで埋まってしまった場所が地図上でどこにあるのか見つけるのにかなり手間取った。村の名前だけ聞いてもわからないことも多いので、報道する人はもう少しヒントを出してほしいと思う。そこまで詳しく知りたい人は少ないというかもしれないけれど、受け手だって、ただ「悲しい話」や「ちょっといい話」を見聞きしたいだけではなく、どこでどんな暮らしをしていた人たちがどんな状態に置かれているのかということも知りたいと思うので。


少し古くなってしまったが、地震発生から3日目から5日目頃までの情報をいくつか。

パダン市内

パダン市の住民は食糧と浄水を求めている。市内では営業している飲食店を車やバイクで探す人々が見かけられた。プルスパダン地区から高台のブリンビン地区に避難したある家族は、ポリタンクに入れた水、魔法瓶に入れた熱湯、乾麺1箱を持ち出したが、どれもすでになくなった。「乾麺を売る人はいるが調理するお湯がない」。同じ場所に避難している住民数百人は水浴びも着替えもできず、空腹と喉の渇きに苦しんでいるという。スープを買うことができた人もいたが、それは自宅から30キロ離れたアンダラス大学の近くで一杯1万ルピアだったという。この地区は地震の被害が大きくなく、住民の一部がスープや乾麺などの軽食を売り出している。市場が営業していないため、米の弁当はまだ扱っていないという。(10月2日)


パダン市内のジャミル病院の災害対策センターで活動するイドルス医師によれば、現在、同病院では地震で負傷した患者200人が手当てを受けているが、これまでに手術は4件しか行っていない。同病院にはAB型の輸血用血液がまったくない。また、手術に必要な道具や消毒用品が不足している。滅菌装置が故障しており、煮沸消毒を行っている。(10月3日)


東パダン郡と西パダン郡の住民が飲用水を求めて用水路に列をなしている。彼らは用水路の近くに一時的に避難している。公共事業省は簡易浄水設備を24時間体制で運用し、川の水をUV殺菌して飲用水を提供している。水道局のポンプは故障していて水が出ない。浄水能力は1時間に900リットル。女性や子どもが25リットル入りのタンクを持って列に並んでいる。(10月4日)

パダンパリアマン(地すべりがあった集落)

西スマトラ州政府はパダンパリアマン県のティゴ山麓の3つの集落を集団埋葬地とすることを住民に提案する。ティゴ山麓の地滑りで少なくとも300人が生き埋めになっているが、救出は困難である。州災害対策本部では、救出費用が高額になることも考慮し、現場を集団埋葬地として、資金を生存者への支援にまわしたい意向だ。他の地滑り現場についても同様に提案する。また、今後起こり得る地滑り災害に備えて、これらの集団埋葬地付近には住民の居住を認めない方針。(10月4日)


パダンパリアマン県のティゴ山麓の3つの集落ではすべての世帯が6〜10mの深さの土砂に埋まっている。この3つの集落があった場所は、242人を超える人々の集団埋葬地となっている。家族を失った住民は、「妻や子は発見できないだろう。ここはこのまま埋葬地とすればよい。神がこの地を彼らに用意したということなのだから」と語った。これらの集落はパダンから2時間弱で行ける位置にあるが、捜索救援活動や人々の関心はパダン市に集中している。(10月4日)


被災の翌日にリアウ州プカンバルの捜索救援チーム10人が到着したが、持ってきたのは遺体収容袋だけだった。翌2日に南スマトラ州警察機動隊とパダンパンジャン県の捜索救援チームが到着した。3日の朝にパヤクンブの国軍大隊が所有するショベルカーが使えるようになった。「10月3日になっても親戚や家族が見つからないときは遺体なしで葬儀を行うことで我々は合意している」と住民は語った。ショベルカーの操作手によれば、家が埋まっているところまで掘り進めて道を開くだけでも2日かかるという。(10月4日)

その他の地域

クリンチ県では10月1日午前8時52分にM7.0の地震が発生した。震源はガラスンガイプヌの東南46km、震源の深さは10km。クリンチ県の山間部での被災者は数千人に上る。クリンチ県災害対策本部によれば、グヌンラヤ郡、クリリンダナウ郡、ダナウクリンチ郡、バタンムランギン郡、シウラク郡の計26村で揺れが感じられた。住宅1385棟が被害を受け、そのうち63棟が全壊、474棟が部分倒壊した。被害が最も大きいグヌンラヤ郡は、県都からわずか30キロの位置にあるが、十分な支援が行なわれていない。グヌンラヤ郡ロログダン村の書記ヤルミによれば、これまでに同村は政府の支援として社会省のテント一張を受け取っただけだという。ロログダン村では334世帯が被災し、住宅の被害は全壊52棟、重度の損壊49棟、軽度の損壊40棟。住民は手持ちのビニールシートで夜露をしのいでいる。(10月2日)


パダン沖のメンタワイ諸島はパダンへの輸送手段を強く必要としている。地震で電話が繋がらなくなり、フェリーが運航をやめてしまったため、メンタワイ諸島のシベルト、シポラ、南パガイ、北パガイの4島の住民はパダンから情報が入らなくなった。飛行機は週3便あるが、乗客数は最大16人である。住民はパダンの親戚知人の消息がつかめず不安になっている。地震後、パダン=メンタワイ間を航行する船がない。メンタワイ諸島県の公務員の多くは家族をパダンに残しており、家族の消息がつかめず不安を抱いている。(10月4日)