マレーシア・インドネシア関係の本

用事でバンドンへ。バンドン工科大学の日本文化クラブの盆踊りや合気道の催しを見せてもらう。今回は社長のお供。社長が盆踊りに飛び入り参加すると部長も課長も踊りだす。ホモソーシャルな社会なので一緒に踊らないわけにもいかない。
同じころ、バンドン市内の別の場所では映画「Suster Keramas」の上映中止を求める女性たちのデモがあったらしい。
http://www.portaltiga.com/khatulistiwa/?f=12032
どんな映画かとまわりの人に尋ねたが、日本人が出ている映画だとしか教えてくれなかった。調べてみると、日本人女優が出ている映画で、インドネシアの一部で「ポルノ映画反対」と話題になっているらしい。しばらく前にMiyabiという通称をもつ日本人アダルト女優が出る映画を作るという話があったけれど、そのことだろうか。このデモがあった日にバンドンで調べた限りでは上映映画館を見つけることができなかったが、11日にジャカルタにたどりつくといくつかの映画館でSuster Keramasが上映されていた。公開直前の反対デモだったということか。いずれにしろ、この反対デモはDVD売り上げのいい宣伝になるという仕組みになっている。
そう思ってDVD屋をのぞいてみると、タイトルに「Suster」の単語が入ったホラー映画がいくつも出ていた。susterとはシスターつまり看護婦・ナースの意味だから、ホラーにもアダルトにも妄想をかき立てやすいためか、「susterもの」という分野があるということのようだ。日本人が出ている映画を「susterナントカ」とだけ覚えてDVD屋に買いに行くと違うものを買うことになりかねない。
(追記.この映画に関して書いた部分に不正確な記述が多かったので修正しました。)


帰りにジャカルタで数時間滞在した間に見つけた本のうちマレーシア・インドネシア関係のもの。


Maumu Apa, Malaysia? (Genuk Ch. Lazuardi, Gramedia Pustaka Utama, 2009)
タイトルは「マレーシアよ、おまえは何を求めるのか」。表紙には「マレーシアのあるインドネシア人女性労働者の目からみたインド=マレー紛争」とある。「インド=マレー紛争」と書いてしまうとインドとマレー人の紛争のようだが、原語は「konflik Indo-Malay」。インドネシアを後ろに接続させるときにIndo-とするのはいいとして、国名であるMalaysiaとその一民族であるMalayを区別していないのはちょっと気になるけれど、表紙なので字数も限られており、キャッチーな表現にしたということなのだろう。
表紙の雰囲気だけ見ると、マレーシアでインドネシアから来た女性の出稼ぎ労働者がおそらく家事労働か何かに就いてひどい目に遭い、それをもとに虚実織り交ぜて小説に仕立てたものだろうと思ったけれど、それはこの本を手に取らせる工夫だったのかもしれない。ジャーナリストとして2007年から約3年間クアラルンプールに滞在した著者は、インドネシアでの報道などを通じて形成されていたマレーシア理解は、マレーシアで現実を見ることでどれも正反対に見えてきたという。
Musni Umarによる冷静かつ論理的さらに前向きな序文も、この本の性格をさらに明確にしている。序文は、マレーシアとインドネシアの関係はよくなったり悪くなったりするが、その根本の原因は両者の間にある情報不足や誤解のためであるとの立場に立ち、もとは「マレー世界」(alam Melayu)として1つの世界だった両国の関係改善を唱える。マレーシアの現首相であるナジブ・ラザクは血統をたどるとマカッサル出身のブギス人だと書き起こし、同じようにジャワ人もスンダ人もアチェ人も何百年も前から移住してマレーシア人になった人がいるのであって、だから昨年話題になった「文化の盗っ人」という議論も、そういった移住者たちが持ち込んで発展させたものが現在のマレーシア文化なのであって、「盗っ人」と言ってもマレーシア人には決して理解されないだろうと極めて冷静に分析している。
本文は、2004年のインド洋津波で被害を受けたアチェ人をマレーシアが受け入れた話で始まっている。マレーシアは、アチェ津波被災者3万5000人にマレーシアでの2年間の滞在許可を与え、国境を超えた避難した人々に生活手段を与えて支援した。もしマレーシアに大きな災害が起こったとして、インドネシアはそれだけの数のマレーシア人を国内に受け入れて生活手段を与えるだろうかと自問する。さらに、この3万5000人の避難民たちは、滞在期限が切れる2007年を前に、マレーシアの高官になっていたアチェ出身者を通じてマレーシア政府に働きかけ、滞在期間を1年間延長させた。その滞在期限は2008年に切れたが、2009年になってもまだ2万4000人のアチェ人が「難民証明書」を持ってマレーシアに滞在しているという。
こんな話にはじまり、著者が日常的に体験した話をもとに、マレーシア・インドネシア関係について、インドネシアでの報道の裏側を描いている。


Sejarah Wilayah Perbatasan Batam-Singapura 1824-2009: Satu Selat Dua Nakhoda. (Endjat Djaenuderadjat (ed.). Gramata Publishing, 2009)
Sejarah Wilayah Perbatasan Entikong-Malaysia 1845-2009: Satu Ruang Dua Tuan. (Endjat Djaenuderadjat (ed.). Gramata Publishing, 2009)
この2冊はタイトルも本の表紙もよく似ている。どちらもインドネシアと近隣諸国との国境線が19世紀前半にどのように形成され、その後どのように国教として制度化されていき、現在どのような状況にあるかをまとめたもの。1冊目はシンガポール沖の国境で、バタム島(インドネシア)とシンガポールの間。2冊目はボルネオ島カリマンタン島)の国境で、エンティコン(インドネシア)とマレーシア・サラワク州の間。インドネシアと近隣との国境はほかにもあるので、このシリーズがさらに出るのだろうか。