墨田区−−『歓待』の舞台を歩く

引き続き映画『歓待』について。マレーシア映画(特にヤスミン作品)と対比すると興味深いと思うのだけれど、4月以降に公開されるようなので映画の内容についてはまた別の機会に。
『歓待』の舞台となる墨田区を歩いてきた。
曳舟駅から隅田川に向かう鳩の街商店街へ。「昭和レトロの街」と「タワーの見える鳩の街」という一見すると矛盾する2つのキャッチフレーズで語られる不思議な商店街。『歓待』では医院やスーパーマーケットの場面がここで撮影された。
商店街の中ほどにあるチクタク商店には各種メモ帳が並べられていた。紙なら何でも(紙でなくても?)メモ帳にしてしまうというアイデア満載のお店で、スカイツリー手帳のような変わり種がたくさんあるけれど、掘り出し物は鳩の街商店街付近の地図入りのメモ帳。手描きのかわいらしい地図がついていて、それを見ながら町歩きをするとさらに楽しくなる。鳩の街なのにネコ出没地が描かれていたりする。地図はときどき更新されるようなので、次回更新では『歓待』ロケ地も入るといいかも。
線路を挟んで曳舟駅の反対側にはイトーヨーカドーやそのまわりにモダーンな雰囲気のお店が並んでいて、その奥にはスカイツリーが顔をのぞかせている。
少し遠いけれど、一駅分はなれた八広まで歩いてみる。小さな公園がいくつもあり、町角には掲示板が多く、小学生が書いた人権擁護の標語が貼りだされている。回覧板を持ってまわっている人もいて、まるで『歓待』の世界に入りこんだよう。
八広に着いて小林印刷のあたりをうろうろしていると、立ち話していた近所の奥様たちが撮影のときの話をいろいろ聞かせてくださって思わぬ歓待を受けた。見知らぬよそ者に親切にするということと、見知らぬ人に積極的に話しかけて素性を探ろうとすることは裏表だったりする。民族混成社会のマレーシアで暮らしているときはそれが当たり前のことだったけれど、東京では見知らぬ土地に足を踏み入れても声をかけられないことに慣れていたので、東京でもこういう場所があるのかと新鮮な思い。
荒川の土手では少年たちが野球をしていた。寒いためかブルーシートの家はほとんどなかった。土手の橋の下はトンボの保護区になっていた。トンボは保護するけれど人は保護しないのかと言う人もいそうだが、トンボ保護の名目で一般の人を立ち入り禁止にして、その奥に寝泊まりする人たちを邪魔させないという仕組みではないかというのは深読みのしすぎか。
撮影現場を歩いてみて思ったのは、映画は画面の切り取り方の技術が命だということ。撮影現場に実際に行って風景を見ても、映画のスクリーンで観た場面とは全然イメージが違う。必要な絵を切り取るために余計な情報をたくさん切り落としているのだろう。研究の話を思い出す。研究も、素材をたくさん集めてきて好きなことをいろいろ調べている時間はとても楽しいけれど、それを一定のルールにのっとった論文にして発表するのは大変で、決まったスタイルを踏襲しなければならないし、何よりも、せっかく集めた情報をあれもこれも捨てなければならない。トリビアな情報にこそ強い思い入れがあるものだけれど、集めた情報を全部盛り込んだら論文にはならない。その意味で、禁欲的な映画制作には学ぶところが多い。
話を『歓待』に戻すと、今回舞台の墨田区を歩いてみて驚いたのは、わずか半年ほど前に撮影されたはずの場所がいくつかなくなっていたこと。ネタばれになるといけないので具体的には書かないが、作品中で重要な場面の舞台となった場所が、少なくとも2ヵ所、建て替えのために取り壊されていた。小林印刷はあるけれど、映画ではそのまわりにあったはずの風景がもうない。あの映画の中の小林印刷は本当にこの小林印刷なのだろうかという気持ちになってくる。さらに、小林印刷を訪れた加川花太郎やアナベルたちは実在したのだろうか、夢の中の存在だったのではないだろうか、あるいはまた別の存在だったのだろうかという気もしてくる。物語中で夏希の誕生日はおそらく8月13日で、ちょうどお盆のころだし。
都心からすぐ近くで、東京都内なのに、流行りのテレビドラマで見るような都会とはまたちょっと違った町を舞台にした物語。そこで描かれているドラマは、墨田区のローカルな話であるとともに、墨田区や日本だけでなく世界で関心が向けられているグローバルな話にも通じている。墨田区を舞台に選んだのは、テレビの中の世界とは違う世界を切り取って、それをテレビ放送を発信するスカイツリーのお膝元から世界に向けて発信するという思いを込めたためなのかもしれない。