自分の持ち場で専門性を磨く

2004年のスマトラ沖地震津波のとき、大学などでスマトラの被災地の事情を話したとき、学生たちからしばしば「自分たちに今できることは何か」と質問された。そのときに答えたことのメモ。対象は主に大学生。


自分の善意が不要と言われても受け入れる。
助けてあげたいというのはもちろん善意からだろうけれど、状況によってはその助けは不要(場合によっては、より有効な支援にとっての妨げ)になる場合もある。善意で申し出た支援が不要だと言われるといい気はしないけれど、そこで無理強いしたり相手を責めたりしてはかえって支援の妨げになる。もし自分が相手のために助けようとしたことが必要ないと言われたら、気持ちは受け取ってもらえたと思って素直に引き下がる。


出番が来るまでは自分の持ち場で専門性を磨く。
これだけの規模の災害であれば、復興はこれから5年、10年と長く続く。今は懸命の救助活動が行われている様子がテレビや新聞で毎日のように報じられており、自分も何かしたいという気持ちが高まっているかもしれないけれど、災害を中心とした報道はせいぜい数か月しか続かず、緊急・復興の段階はそれ以降もずっとずっと長く続く。そうなっても息切れせずに長く復興に関わっていけるように、今は直接的な支援を行うのではなく、むしろ自分の持ち場で自分の専門性を磨くべき。その専門性は災害対応に関わらないことでもいい。5年後、10年後にその専門性を役立てる機会が来る。


他人にむやみに「不謹慎だ」と言わない。
大きな災害があると、いろいろな活動が自粛される。交通手段や会場の安全性などの問題がある場合には中止せざるを得ないものもあるだろうけれど、そうでなければ、大きな被害を受けていない人たちはなるべく通常の活動を継続すべきだし、そのように活動している人を「不謹慎だ」と責めるべきではない。旅行に行ったり映画を観たりするのも大切なこと。その裏返しで、「人の心があるなら当然この活動に参加すべき」という同調圧力を他人にかけることもすべきでない。災害の受け止め方や対応の仕方は人それぞれ。目に見える活動をしていないからといって、何もしていないとも何も感じていないとも限らない。


募金は「かかりつけのNGO」にも。
直接被災していない人が「募金ぐらいしかできないから」と考えるのは自然なこと。でも、どこに募金するのかはちょっと考えてもいいかも。2004年のスマトラ沖地震津波インド洋津波)では、日本赤十字に巨額の募金が集中した。日本赤十字は信頼できる団体なので、日本赤十字に募金することに反対しているつもりはないし、むしろ積極的にすべきだと思うのだけれど、でも、現実問題として1つの団体にできることには限りがある。日本赤十字以外にも人道支援を行っているNGOはたくさんあり、そこには人材がたくさんいるけれど活動資金などの事情で十分に活動できないというところもある。日本赤十字への募金額の1割でもいいので、それ以外のNGOなどにも募金が向かえば、人々の気持ちも力ももっと有効に役立てられるはず。災害などが起こると募金する団体がいろいろ出てくるけれど、その団体が直接支援活動するのではなく、別の支援団体、たとえば日本赤十字に渡すという募金もある。募金するなら、その募金がどこに行くのかを確かめてからでも悪くはない。
[追記.今回は日本赤十字に集まった義捐金を被災者に配分する仕組みが作られたらしい。]
話は少しそれるけれど、募金先を選ぶためには、ふだんから「かかりつけのNGO」を持っておくのがいいかも。これからの長い人生、残念ながらまだ何度かこのような募金をしなければならない事態が生じるかもしれない。ただ募金するだけでなく、その団体の活動内容に関心を持って、「かかりつけのNGO」を見つけてはどうだろうか。


スマトラ沖地震津波の被害と復興についての情報は以下のページで。
http://homepage2.nifty.com/jams/aceh.html


追記.
これ以降考えたこと
スマトラの復興過程の経験から - ジャカルタ深読み日記
地域研究者は自分の社会の問題にどう関わりうるか - ジャカルタ深読み日記