大学院選びで金より大切なもの

はじめにお断り。特定の大学・大学院やゼミを貶めたり称えたりするつもりではなく、一般論。また、文系・理系の違いや学問分野によっては以下の話が当てはまらないことも当然ある。ここで私が念頭に置いているのは地域研究。


最近、大学院の入試説明会で、受験生から「調査費はどれくらい出るのか」という質問が増えているそうだ。大学院に入っても現地調査や実験が十分にできなければ自分の研究が進まない。だから大学院が調査費を出してくれるかは大学院選びの重要な要素になる、ということらしい。
この考えには部分的に同意する。大学院生は研究するだけでなく生活費も稼がなければならず、生活費を稼ぐことで手いっぱいになると研究する時間が無くなってしまう。そのうえ調査費も自分で稼ぐとなったら負担はさらに大きくなる。地域研究では現地調査の渡航費と本代が主で、調査地によっては渡航費もそれほど高額にはならないが、生活費や調査費の捻出をあまり気にせずに研究に打ち込める環境が整うことはよいことだと思う。


でも、大学院選びをする人には、調査費よりももっともっと大切なことがあることも知ってほしい。それはゼミの枠を超えた議論だ。
極端な例として、いまここに、世界でも有数の教師陣が揃っているけれど、どの教師も同じ曜日の同じ時間帯にゼミを開講している大学院があったとしよう。その大学院にどんなに優れた研究者が集まっていたとしても、学生は在籍中に1人の先生にしかつけないことになる。
あるいは、そこまで極端ではない例として、教師が自分の指導する学生がよそのゼミや学会・研究会に参加して「他流試合」することをよく思っていない例を考えてみよう。この場合も、事実上、学生は在籍中に1人の先生にしかつけないことになる。
学生を指導する教師の立場としては、その方が楽かもしれない。他のゼミや学会・研究会で自分と違う考え方を吹き込まれてしまったら、その学生を指導するのに余計な手間がかかると考えるかもしれないためだ。学生の立場でも、先生方や先輩方からそれぞれ違うアドバイスをもらったら、いったいどれに従えばいいのか迷うかもしれない。そう考えると、短期間に修士や博士の学位を取るためには、外部の声を遮断して教師と学生の二人三脚で走り抜けるのがいいという考え方もあるかもしれない。
でも、教師と同じく考える学生を作るのが大学院の目的ではないし、その学生は独り立ちした後で教師が守ってくれない状態で自分1人でやっていかなければならない。そう考えると、とにかくノイズを遮断して学位取得まで一直線で走り抜けるという臨み方がその学生の長い研究者人生にとってプラスに働くのかどうかは怪しくなってくる。
これをもうちょっと極端にすると、学生時代に大学院のゼミで学ぶべきことは研究内容そのものではなく、他人に多少厳しく批判されても自分の主張を論理的に説明できる精神的な強さだという言い方になる。これは私が大学院に入ったときに先生から聞いた言葉だ。それは程度の問題かもしれないが、いずれにしろ、教師と学生が一対一の関係を結ぶのではなく、なるべく多くの先生や先輩や研究仲間と研究上の議論ができる場と雰囲気があることは、学生が研究者として成長するうえでとても大切なものだ。
1人の先生に囲い込まれている(1つの大学院に囲い込まれている)学生と、いろいろなゼミや研究会に出入りして議論にさらされている学生とでは、質疑応答の様子がまるで違うという印象がある。調査費がたくさんあるけれどゼミの枠を超えた議論が多くない大学院の学生は、いろいろ調査をして詳細なデータは持っているし、学会発表などでのプレゼンテーションのスタイルも洗練されているけれど、発表内容と質疑応答を見ていると、そこで発表されたものが手持ちのすべてで、その奥に広がりがあると感じさせてくれないという印象を受けることがある。


ここまでは研究遂行能力に関連する話だが、それだけではない。学生が研究者になってキャリアを重ねていくうえでは、修士論文や博士論文の執筆や、学会での研究発表、ポスドクとしての研究生活、プロジェクトへの参加などなどといろいろなことを経験する。その多くの場面で重要なのは教師との関係ではなく同世代の研究仲間との関係だ。一歩先の経験をもとに助言してもらったり、悩みや迷いを聞いてもらったり、いっしょに企画を練ったりする仲間が必要だが、教師と学生が一対一の関係を結ぶ場では学生どうしの横のつながりが作られにくい傾向がある。


調査費は大切だ。ないよりもある方がいいし、あるなら多い方がいい。でも、研究者になる修業の大切な時期にたった1人の教師に囲い込まれて過ごすのは、その後の長い研究者人生を考えると大きな損失だと思う。大学院選びは慎重にした方がいい。調査費の額だけでなく、研究者としての修業に関わる部分、具体的にはゼミを超えた議論の場がどれだけ得られるかを、教師と学生のそれぞれに聞いてみるのもいい。

もしすでにどこかの大学院に所属している学生で、万一自分の所属している大学院で複数のゼミに参加することができないようなことがあれば、授業料を払っている学生の権利として大学側に状況改善を求めることをお勧めする。それはあなた1人だけの問題ではなく、その大学院でこれから学ぶ人たちの人生を救うことにもつながるはずだ。
もちろん、この方法は、とにかくあまり悩まないで学位をとりたいという学生にはあまり向いていないかもしれない。いろいろな人からさまざまなアドバイスを聞いてしまえば、どれに従えばいいのかわからずに混乱するからだ。でも、単に大学教員という地位がほしいのではなく研究者になりたいのであれば、そういった混乱を経験したうえで自分なりの立場を作っていかなければならない。その困難を乗り切るのは最終的には自分1人で行うしかないが、一緒に考えてくれるのは教師ではなく同世代の研究仲間だ。調査費に目がくらんで大切な研究仲間を切り捨てることのないよう、大学院選びは慎重に。