メダンの本屋と地元映画『金の卵』

赤ちゃんから華語で教育を

メダンでは日本文化祭のあいまに市内の本屋を何軒かまわる時間があった。
まずは総領事館隣のサンプラザからスタート。Gramediaが入っていた。広いしきれいだしゆったりしているしで、メダンで新刊書を選ぶストレスが減りそう。地元図書コーナーにはバタックやマレーの本も何冊か置かれていた。
サンプラザは広いので時間の都合で少しだけ探検。5階だか6階だかにあったスケートリンクは安全上の問題があるとかいう理由で閉鎖されたらしい。その近くにはCD屋が何軒かあり、複製を売っている店が多く、輸入物でオリジナルを売っているのは4階のMelodyぐらいになった。日本で最近ジョンリという歌手が話題になっているらしくて雑誌やネット上でジョンリと見かけるたびに紛らわしいなあと思っていたジョリンこと依林姐の写真集などなどを見つけた。ジャカルタでは見つからないのでシンガポールにでも探しに行こうかと思っていたところ。さすがメダンは奥が深い。


サンプラザからは、道端に花火売りの露店が並ぶアリフィン通りを通ってカンポン・クリンを抜け、チョン・アーフィ橋(チョン・ヨンヒアン橋)を渡ってガジャマダ通りへ。橋の脇に「剣橋」という看板があったのでまた橋の名前を変えるのかと思ったら、ケンブリッジの高いビルを建設中だった。
ガジャマダ通りではGramediaをのぞき、そのままイスカンダル・ムダ通りのSembilan Waliへ。これはイスラム教専門店。
イスカンダル・ムダ通りを北上してメダン・プラザへ。メダン・プラザ裏手のKarsa Murni書店は、バタック雑誌Tatapも置かれていたりして、なんとなく北スマトラというかバタック人の雰囲気が漂っている。
一般書店なんだけれど、1階はキリスト教関係の本が多く、2階には人文社会科学や自然科学の専門書などが並べられている。1階と2階の間の階段の踊り場には北部スマトラ関係書籍コーナーがあって、北スマトラアチェに関する本が一式揃っている。
ついでに、この書店の付近のエリアには、楽器屋、バー、法律関係事務所と、バタック人に関係すると言われている職種の店や事務所が集まっている。


メダン・プラザからガト・スブロト通りを渡って、2、3年前にできたモールのメダンフェアへ。時間があまりなかったのととにかく広かったのとで十分にまわりきれなかったけれど、大きめの本屋Karismaやキリスト教専門店Logosなどいくつか本屋が入っていた。時間切れで本屋まわりはこれで終わり。
本ではないけれど、CD屋で『金の卵』(Golden Egg、金蛋)という映画のDVDを見つけた。定価1万5000ルピアでちょっと高いけれど、「メダンっ子が制作した初のメダン映画」という売込みにつられて買ってみた。だいたいインドネシア語だけれど、ところどころ中国語(福建語?)も使っている。字幕はインドネシア語
メダンの金持ち華人高校生5人。金と暇はあるけれどすることがなく、今日はインターネットカフェ、明日はビリヤード、あさってはモールでショッピングと日々時間をつぶしている。そこに、店をまわって卵を売る子どもホックリーが卵を売りに来る。卵はいらないけれど、ビリヤードの賭けでもうけた5万ルピアがあるからそれを恵んでやるよというと、僕は貧乏人じゃない、卵は売りたいけれどお金を恵んでほしいわけじゃない、と受け取らずにどこかに行ってしまう。そのことに衝撃を受けてあとを追いかけるけれど見つからない。町じゅうを1週間探し続けるけれど見つからない。ようやく家を探し当てると、病気で寝込んでいたけれど家に金がないので病院に行けずにいた。5人で病院に運び、そのうち1人が金持ちお父さんに何とかしてくれと頼み、「陰暦正月が近いので善行をしようと思っていたところだ」とかいうお父さんがお金を出して、ホックリー少年は助かる。5人はこの出来事をきっかけに、金も時間も無駄にしていた、世の中には勉強したくても学校に行けない子もいる、心を入れ替えて生きていこう、汚職にまみれた政治家たちも考え直してほしい、みんなインドネシアのために心を入れ替えよう、と誓いあって終わる。
ストーリーとしてはよくある話で、卵売りである必然性やメダンであるべき理由は特にないのだけれど、メダンの華人青年は好き勝手に生きていても根は素直で何かあるとすぐ心を入れ替えるとか、メダンの仲良しグループはいつも一緒に行動するとか、いろいろ思い当たるところがあっておもしろかった。ホックリー役の子が「大きくなったら強いおすもうさんになる」と言っていた子どものころの貴乃花によく似てふっくらしているため悲壮感がなく、どうしても貧しい家の子どもに見えないのが欠点かも。

この数年、東南アジア各地で特定の地方や民族による劇映画を見かけるようになった。隣のアチェでは数年前から地元作成の劇映画が撮られていて、バンダアチェのCD屋ではすでに十数タイトルが売られている。マレーシアでも2002年からサバ州の地元劇映画が撮られるようになり、最近ではマレーシアのインド系コミュニティによるタミル語劇映画も撮られている。メダンでは2008年の『金の卵』が始まりということになる。
これらの地元映画の出来はそれぞれだけれど、自分たちが訴えようとするメッセージを入れつつも金儲けしたい(だから独りよがりではだめで人々が受け入れるものにしなければならない)という2つの方向の折り合いをつけようと工夫しており、それがとても興味深い。

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