忙しい年度末に読む本

ジャカルタでの滞在も残り1ヶ月を切った。仕事を早めに切り上げて最後の1ヶ月は遊んで暮らそうと思っていたが、年度末はとても忙しい。処理する先から次の案件が飛び込んでくる。しかも、そんなときに限って来客が多い。来るにはそれだけの理由がある。1人1人は小さなお願いでも、それが集まればけっこうな手間になる。
この時期に駐在員が顔をあわせると、どうしても忙しさ比べのようになる。ジャカルタ滞在は私にとってはじめての経験だけれど、ジャカルタ駐在が長くなるほどいろいろな経験を積み重ねているらしい。
年度末になると道路工事と同じで各種の予算消化のための仕事が降ってくる。それをどう捌くか経験談の数々を聞いていると、どこからどこまで本当かわからない話がたくさん出てくる。
民間企業で領収証の日付を実際の支払い日よりも前の日にしてもらうのは驚くほどのことではないけれど、郵便局の消印ですら日付を操作することができるという話。1年前に交わした契約書を紛失してしまったけれど、すでにその会社がなくなってしまったので契約書の再発行ができず、その会社の別の契約書をスキャンしてロゴ入り署名入りの本物そっくりの契約書を自前で作ってしまった話。
たいていの現地事務所には長く勤めている現地スタッフがいて、「こんな書類がほしい」と言うと、どこかから調達してきたり自分で作ったりして必要な書類をちゃんと揃えてくれるらしい。
こういう話を聞いていると、インドネシアの人たちは文書偽造のやり放題だという印象を受けるかもしれない。ある意味ではそうなんだろう。でもそれは、一定の書式が整った書類があるかないかでカネが出るか出ないか決まるというやり方がインドネシアに持ち込まれて、それにインドネシアの人たちが適応した結果と考えるべきなんだろう。
アチェ津波被災地での支援現場を描いたドキュメンタリー『象の間で戯れる』で、村人たちが支援団体との交渉で最終的に勝利したのは「家の引き渡し書に署名しない」という手を使ったためだった。書式が整った文書が手に入らないと相手が困ることを十分に理解したうえでの対応だ。
「象の間で戯れる」――喧嘩のふりして戯れ、戯れるふりして喧嘩する - ジャカルタ深読み日記


こんな話が飛び交っている中で正気を保とうとするためには、少々毒の強いものを摂るしかない。久しぶりに坂奈玲『知の虚構――アカデミック・ハラスメントのゆくえ』(三一書房、1997年)を紐解いてみたくなる。
地方の国立大学の研究所で実際に起こったできごとをもとにした小説だ。本の中ではみんな仮名になっているけれど、ちょっと調べれば誰が誰だかわかるようになっているし、そのなかには今も現役で大学や研究所に勤めている人もいる。この本を紹介してくれた人も、「読んであまり気分のいい話ではないけれど」とためらいがちに紹介してくれた。
ある事件に関連して当時の研究所長とその支持者たちを告発する意図があるため、関連する登場人物への批判もストレートに書かれている。そこで描かれている事件そのものや登場人物の研究上の方法や成果については、興味深い記述も多いけれど、小説だし、批判されている当事者の意見を聞いていないので、ここではコメントしない。
私がこの本を読み返すのは、教員と事務員の関係や教員たちの行動に対する批判がストレートに書かれているところだ。それは、この本の登場人物だけの特殊な話ではなく、大学や研究所に関わる一般的な話としても十分あてはまるような印象がある。年度末に予算消化のために海外出張を繰り返したり、研究費を取るために上滑りした言葉を並べた企画書を書いたりするなど、世間の感覚とやや異なる大学・研究所での慣行に対する批判や皮肉は、「大学や研究所というのはそうやって動いていくところだ」という論理のなかで暮らしている身には、読んでいてどきりとさせられる。
私は今の職場に勤めることになったときにこの本を紹介された。研究課題や研究内容への批判もストレートに書かれていて、その部分にはかなり毒気があるけれど、それでも研究と接点を持つ仕事をする人は読んでおいた方がいい本だと思う。


追記.文中の「当事者」「毒」がどの部分を指しているか明確でないとのコメントをいただいたので該当する箇所を一部修正しました。(2008年6月30日)
コメントは誰からのものでも表示する設定にしているけれど、なぜか表示されていないようです。いただいたコメントにはコメント欄でお答えしたかったのですが、当面できないようです。「毒」については、研究課題や研究内容に対する評価がストレートであるという意味で、私はある種「褒め言葉」のつもりで使っていますが、人によっては非難の意図があると受け止めることもあるのかもしれないと思いました。