ホラーと恋愛のインドネシア映画

今日は縁あって映画評論家のクリスタントさんと会う機会があった。映画には関心があるので前から会ってみたいとは思っていたけれど、特定の話を深くするほど予習していなかったのでほとんど世間話になってしまった。それでも嫌そうな顔をしないで1つ1つ教えてくれた。忙しそうなのに申し訳ない。


つい先日出版したインドネシア映画のカタログについて尋ねてみると、今まではいつも1926年から最新のものまで載せたカタログを作っていたけれど、これだとコストがかかるのでこれからは1年分ずつ出すことにしたとのこと。今出ているのは2008年版(ただし掲載されているのは2007年の映画)。買い手としても、これで重複して買っている気にならないですむ。
2008年版からは英語とインドネシア語の両方で紹介している。英語でも書くようになったのは国外の市場を意識しているかららしい。
Gramediaにはもう並んでいるはず、Kinokuniyaにも並ぶだろうけれど担当者が休みだったので連休明けになるかもしれない、とのこと。


プラムディヤの4部作の映画化が着々と進行中で、まずは第1作の脚本ができたところだとか。ただしホラーと違って安くは撮れないのでお金がかかるのが頭の痛いところ。外国でも上映してもらわないと採算が取れず、そうすると2作目以降が作れないことにもなりかねない。


ホラーの話が出たので、インドネシアの映画はどうして恋愛ものとホラーが多いのか尋ねてみた。最近の傾向だと思うかもしれないけれど、実は1930年代には恋愛ものもホラーもあって、そのころから安く撮ってよく売れるのでインドネシア映画の中心的な存在だったらしい。
1930年代の映画は中国系資本が作っていたのでホラーでも中国文化の影響があったけれど、後に地元の映画産業が発展して地元の文化に根ざしたホラーが作られるようになったらしい。1930年代から現在までホラーを通してみると「何が怖いのか」「どうして怖いのか」が変わってきているとのこと。興味深いことは興味深いけれど、でも自分で調べる気にはならない。
ホラーが多いのは安く撮れるから。1本あたり10〜15億ルピアで撮影できる。劇場での入場料のうちプロデューサーの取り分は1人当たり7500ルピアと決まっていて、30万人入れば十分もとが取れる。観客を30万人入れるのはそれほど難しいことではないけれど、それ以上を求めるといろいろ難しくなる。


より多くの観客を求めるにはどうすればいいかは映画制作者がいつも頭を悩ませているところだけれど、最近のインドネシア映画の新しい傾向(の可能性)からいえば、宗教要素そしてマレーシア・シンガポールとの交流に可能性があるかもしれないとのこと。
宗教要素は、いまインドネシアで爆発的な人気の『アヤアヤ・チンタ』がそれ。これほどはやっているのはふだん映画を観ない人たちが映画館に足を運んでいるためで、その理由はおそらく宗教要素を映画で見たいと思っているから。これからは宗教要素を取り入れた映画が増えるのではないかと思う、とのこと。
もう1つは、マレーシアで成功した映画をインドネシアに持ってきてインドネシアの役者たちを使って撮る試み。いまかかっている『Love』が最初の試みで、これが当たるかどうかで今後の傾向を占うことができるだろうけれど、残念ながら『アヤアヤ・チンタ』の影響が想像以上に大きく、『Love』も食われてしまうかもしれないとのこと。『Love』のもとになった『Cinta』がマレーシアで「成功した」のか、そしてそれはマレーシア映画なのかという点は検討の余地があるかもしれないけれど、でも国外との連携にインドネシア映画の活路を見出したいという気持ちはよくわかる。


『Love』を観に行きたいと思っていたが、つい最近までやっていた映画館に行くと『アヤアヤ・チンタ』に取って代わられていた。もしかしたら劇場で見逃したのかも。残念。


ところでクリスタントさん、私が通り一遍の質問しか用意していなかったせいか、それともそういう人柄なのか、こちらが1つ質問すると短く答えて黙ってしまい、しばらく気まずい雰囲気が漂って、それでは次の質問に移ろうとすると、「さっきの質問だけれど・・・」と話し始める、ということが何度かあった。こういう経験を以前どこかでしたことがあると思ったら、押川典昭先生にインドネシア語を教わっていたときと同じだった。プラムディヤつながりというか、類は友を呼ぶとはこのことかと思った。
読売文学賞 - ジャカルタ深読み日記 押川先生のインドネシア語授業