マンガドゥア・スクエア

右目に異物が入った感じがしてとても痛いので目医者に行くと、まず視力検査された。輪の一箇所が切れているものではなくアルファベットを読ませるもの。
当然インドネシア語読み(オランダ語読み)。N(エヌ)とかK(カー)とかは調子よく進んだけれど、ZやQが出てきてどう発音するんだったかと迷っていると、見えないと思われたのか次に進んでしまうので慌ててしまった。
ところで、「異物感がある」というときの「異物」はインドネシア語で「benda asing」と言うらしい。Asingというのは「orang asing」(外国人)などの表現でよく使うけれど、単に「外来の」という意味ではなくて「本来は取り除かれるべきもの」という意味が含まれているのだと納得。Orang asingも、「外国から来た人」ではなく「それを取り除けばインドネシア社会が均質になるような人」という意味だったのか。
Asingと言えば、インドネシアで「先住民」をどう言うかは時代によっていろいろ変化しているけれど、その1つに「masyarakat terasing」すなわち「asingされた社会」というのがある。asingに接頭語terがついているので意図せずにasingされてしまったという意味になり、「(メインストリームに乗れずに)孤立させられた社会」となる。これに対して、意図的に自分たちを孤立させる社会もある。


ブックフェアがあると聞いてMangga Dua Squareに行ってみた。ブックフェアは2会場に分かれて若者向けの本が並べられていた。ほしいもので持っていないものはほとんどなかったので、Mangga Dua Squareを探検することにした。
このモールに入ったときから感じていたけれど、このモールの敷地は、前は川、後ろは10メートルほどの壁の下に線路があり、川と線路に挟まれた細長い土地に建っている。線路側は10メートルの壁をよじ登らなければならないので外から入れない。ということで、モールに入るには川にかけられた3本の橋を通るしかなく、いざとなればその橋を封鎖すれば外から人が入ってこられなくなって「Asingされた社会」に早変わりできる。


そう思って見てみると、店員もお客も中国系ばかりで、仮に反華人暴動が起こった場合にこのモールに逃げ込み、孤立してもやっていけるような造りに見えてくる。
地階には大規模店舗のカルフールと中国の食材店があり、食料は十分にある。そのほかは小さな店がたくさん入っているけれど、多いのは服屋と薬屋と携帯電話のプリペイドカード屋だ。食料、衣類、薬、そして外部との連絡手段というのは、災害などの緊急時に支援団体が持っていく支援物資の代表格だ。
モールは8階建てでエスカレーターで上下するのだけれど、食料品がある地階からその上の階に上がるエスカレーターは数が限られている。このモールに避難民が大量に押し寄せたとしても、1階以上を居住区にして、地階と1階をつなぐエスカレーターをいくつか封鎖してしまえば、避難民が地階に押し寄せて食料を奪い合う混乱は防げる。
上の方の階は、フロアが2メートル四方ぐらいの狭いエリアに区切られ、1つ1つのエリアが店になっている。店はまだあまり入っていなかったけれど、入っているところではどこでも携帯電話のプリペイドカード屋だった。机と椅子を1つずつ置いておくだけの店。それぞれ鍵つきのシャッターがついていて、それを閉めればちょっとしたスペースが確保できる。仮に避難民がこのモールに押し寄せたとして、このエリアはそれぞれ世帯ごとの避難場所になりそうだ。売れそうもないのにみんなプリペイドカード屋になっているのは、いざというときの避難場所を確保するために店の権利を買っているためで、何を売るかはあまり重要ではなく、だとしたら場所をとらずに非常時に役に立つものを商品としておいておこうと考えたのではないか、などとどんどん深読みが膨らんでいく。


モールの一角にはステージがあり、夕方5時をすぎたら中華系のおじさんたちがカラオケ大会を始めていた。そのまわりには中国象棋をしているおじさんたちもいた。若者向けには映画館もあるし、このモールから出なくても暮らしていくだけの施設が揃っている。
ジャカルタ華人が反華人暴動に備えてこのモールを作ったとまで言うつもりはないし、反華人暴動は過去のものであってほしいとは思うけれど、いつ再び自分たちの出自のために集団で襲われるかもしれないという思いを抱えて暮らしている人がいることは感じられた。