映画『マス・エンダン』

日本文化センターで『マス・エンダン』を観てきた。大盛況だった。
開場とともに150人分の席が一瞬で埋まり、立ち見が50人ぐらい出た。立ち見の人たちは前方の床に座って観るよう誘導されたけれど、映画が終わったときにはさらに50人ぐらい立ち見の人がいたので、1回の上映で300人弱の観客が集まった計算になる。
若いインドネシア人の観客も多く、映画の後もアンケートに答えたり遺族や関係者へのメッセージを書いていたりしていて、映画の内容への関心もとても高いようだった。


字幕をうまく使ってインドネシア人でも日本人でもわかるように工夫されている。できれば英語字幕もつけて、日本・インドネシア間の飛行機で上映する映画の1つとして常備してはどうかと思うほど。
もちろんいつ観てもいいのだけれど、桜が咲いているこの時期に観ると、「この桜を・・・」と考えたりして余計に思いが深まる。


『マス・エンダン』で取り上げられていた出来事やそれに関わる人々について思うこともあるけれど、それはここでは書かない。この出来事に関わっていながら映画に登場しない人たちもいるけれど、この映画は出来事の真相を明らかにすることが目的ではないので気にしない。この映画は、エンダンさんが海で行方不明になるという出来事の後で、それにさまざまな形で対応した人々の物語だからだ。
ここで書き留めておきたいのは、出来事と離れて『マス・エンダン』を映画として観たときにどう思ったかということ。
うまく言えないけれど、(悪い意味ではなく)「もったいない」と感じた。扱っているのは自らの命を犠牲にして他人を救ったというとても大きな出来事だし、それを語り継ごうとインドネシアと日本にその関係者を訪ねて話を聞いて、しかもその膨大な映像を短い時間に収まるように1つの物語に編集して見せるという大変な作業がある。どちらも重みのあるテーマなので、映画の1シーン1シーンがそれぞれ重みを持って訴えかけてくる。そのため、この映画を観ていると、いくつかの物語が組み合わさって訴えかけてくるように見えてくる。
見える物語は人によって違うかもしれないけれど、私の目には、異国で自分の身の危険をかえりみず他人の命を救おうとして自らの命を落としたインドネシアの青年エンダン・アリピンさんの物語と、インドネシアと日本と互いに遠く離れている関係者を映像によって結び付けようとする旅の物語の2つが組み合わさって見えた。もしこれを2つの物語に分ければ、編集でカットせざるを得なかっただろうシーンを盛り込んだりして、それぞれのメッセージがさらに強調された2つの物語になったかもしれないとも思った。それが1つの物語におさめられているため、素材を贅沢に使っていると見えて「もったいない」と感じたのかもしれない。
たとえばエンダンさんの物語では、エンダンさんの人柄をもっと詳しく知りたかった。あるいは、おそらくこの事件をきっかけに、インドネシアからの漁業実習生には水泳や人命救助などを必修にするなどの変化があったのではないかと想像するけれど、そういった「エンダンさんが残したもの」をもう少し丁寧に拾っていくというのもあったかもしれない。「エンダンさんの物語」をもっともっと観せてもらいたかった。
もう1つの物語は、「エンダンさんの物語を撮る」という物語だ。話がそれるけれど、たとえばインタビュー調査をしていると、自分が傍観者として相手に話を聞くことをどう考えればよいのか戸惑うことがある。この調査には意義があるのだという思いと、自分は第三者でありながら研究調査などの理由をつけて相手につらい思い出を無理やり思い出させているのではないかという思いの間で気持ちが揺れ動いたりする。『マス・エンダン』でも、作り手のそのような気持ちが語られていた。
映像によって人と人をつなごうと試み、そしてその過程で自分のしていることに悩みながらも意義を見出してやり遂げようと決意していく様子は、エンダンさんの物語と別に、世の中との関わり方を考える上でとても重みのある物語だ。この部分を、エンダンさんの物語とは別に「エンダンさんの物語を撮る私」という物語として観てみたいと思った。


とまあ、贅沢な注文?をつけてしまったけれど、それも『マス・エンダン』が強烈な印象を与える映画だからにほかならない。そして、エンダンさんの物語も人々に強く訴えかけるものはあるけれど、私はそれを映像にして関係者をつないでみせた制作者の物語の方にも強烈な印象を受けたためでもある。
この映画では、インドネシアでエンダンさんの家族や恋人にインタビューした映像があり、そして宮崎のエンダンさんの受け入れ家族がその映像を見ながらエンダンさんについて語っているシーンもある。おそらくその映像もまたインドネシアでエンダンさんの家族たちに見てもらい、話をしてもらったことだろう。このように、映画の制作を通じて、遠く離れた関係者が互いの顔を見ながらメッセージを伝えあっている。
チレボンのエンダンさんの田舎の映像では、家のすぐ近くに海があるようだった。映画でも紹介されたように、チレボンと宮崎は海でつながっている。ただし、チレボンと宮崎、そしてそれ以外の日本やインドネシアをより緊密につなぐ上で重要な役割を果たしたのは、この『マス・エンダン』の映画にほかならない。