MataAir

『MataAir』の第10号。先月号で「私たちはアラビア語起源の語を「インドネシア化」したいと考えてそのようにした」と主張していた雑誌。
インドネシアの「細い目」 - ジャカルタ深読み日記


今月はムハンマドの誕生月なので「ムハンマドに学ぶ」が特集だけれど、距離のとり方にとても好感が持てる。ムハンマドが非識字者だったのではないかという話の検証や、ムハンマドに複数の妻がいたのはいずれも社会的や政治的な意味づけがあった上でのことだったという主張や、ムハンマドが強調したのはイスラム法の形式を整えることではなく道徳にのっとった生き方をすることだったとか、いろいろな角度から話題が提供されている。


一番興味深かったのが「使途に倣うとはそういうことなのか」と題した論考で、疑問文の形でいくつもの問いが投げかけられている。
「どうして私たちはインドネシア人でありながらイスラム教を戴くことができないのか?」
イスラム教徒になるということはインドネシア性を捨てなければならないということなのか?」
イスラム教徒になるということは、その宗教が生まれた土地の文化的シンボルを身につけなければならないのか?」
「顎鬚を生やしたり名前をスヨノからアブドゥッラーに変えたりすることなくイスラム教徒になることは認められていないのか?」
「なぜ私たちはイスラム教を新たな価値と受け止めて新しい文化の中で融合していくことを認めようとしないのか?」
これらに対して、(ムハンマド時代の)アラブを中心であり標準であるとみなす考え方が背景にあるとはっきり述べていて、その通りだと思うしとても好感が持てる。編集部はジャカルタのTebet地区。遠くないので機会があれば訪ねてみたい。