マレーシアのアヤアヤ・チンタ

マレーシアのメディアを研究している人と会う機会があった。マレーシアの映画や雑誌の話になり、最近ここで何度も話題にしているインドネシア映画『アヤアヤ・チンタ』の話も出た。隣国マレーシアでも話題に上っているらしい。


『アヤアヤ・チンタ』はもともと同名の小説がインドネシア国内でベストセラーになり、それを映画化したものだけれど、その原作の小説がマレーシアでも売られている。
インドネシア語とマレーシア語はどちらももともと東南アジアの海域部で使われていた共通語であるマレー語(ムラユ語)がインドネシアやマレーシアでそれぞれ国語とされたもので、平たく言えばどちらも「マレー語の方言」のようなもの。だから基本的に意味が通じるのだけれど、ときどき単語の意味が違うので誤解が生じて笑い話になったりする。
マレーシアで売られている『アヤアヤ・チンタ』は「マレーシア語版」と書かれているので、おそらくマレーシア語で書き直しているんだろう。違いを書き出すとマレーシア語とインドネシア語の違いが出てきておもしろいかもしれない。私は残念ながら帰国のための荷造りをしてインドネシア語版の『アヤアヤ・チンタ』も梱包済み。だから比較できない。この比較、おもしろそうなので誰か時間がある人がやってくれることを期待しよう。大学の卒業研究などにいいかも。


マレーシアの雑誌でも、小説ではなく映画の『アヤアヤ・チンタ』が話題になっているらしい。手に入れたのは『Off The Edge』という雑誌の2008年4月号。「階級とジェンダーの衝突、ナショナリズム、信仰の違い、そして他の社会政治的衝突などの多くの問題が軽くて読みやすい恋愛劇に盛り込まれている」と紹介されている。ボーイ・ミーツ・ガールではなくボーイ・ミーツ・フォー・ガールズだという指摘を読んで思ったのだけれど、もしかして主人公ファハリが4人の女性から恋愛感情を抱かれるのは「妻は4人まで」と関係があるのだろうか。きちんとやれば4人とも結婚して幸せにできた、とか。
この映画に出てくる女性はファハリにラブレターを出したりととても積極的で、インドネシア女性は恋愛に積極的なのかとちょっと驚いたけれど、『Off the Edge』でもわざわざそのことを指摘しているところを見ると、マレーシア人女性の発想とはちょっと違うのかもしれない。
『Off the Edge』は文化芸術から政治を語るというような硬派の雑誌だけれど、もっと軽くて読み捨てに近い雑誌などでどう書かれるのか、アイシャやマリアの物語にマレーシア人がどう反応するのかも読んでみたい。
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/furuta-semi/articles/yamamoto20071101.html