アヤアヤ・チンタ

ジャカルタビデオ屋で見つけたDVD。
Quickie Express
Nagabonar
Ayat-Ayat Cinta


Quickie ExpressはQ!映画祭の閉幕式でかかる映画。観られないと思っていたのでDVDで手に入ってラッキー。店員さんも「とってもおもしろいよ」と言っていたので、「おもしろい」がどういう意味なのかを含めて観るのが楽しみ。
Nagabonarは前から探していた映画。続編のNagabonar jadi 2のDVDはよく見かけるけれど、Nagabonarがなかなか見つからなかった。何軒かに置かれていたのでまた売り出すようになったのだろう。


そしてお待ちかねのアヤアヤ・チンタ(Ayat-Ayat Cinta)。ここで何度か紹介しているけれど、日本ではなぜかほとんど話題になっていない。
いまはどのDVD屋さんでも店頭で一番目立つように売られている。Grand Indonesiaに7月末にオープンしたGramediaのDVDコーナーにもあったので話を聞いてみた。DVD発売直後に100個入荷したら、その日のうちに完売したのだとか。小説も映画も大人気だったけれど、DVDでもまたすごい売れ行きを見せているらしい。
3月の続きで、今回もDVD屋に入るたびに店員に「アヤアヤ・チンタのアイシャとマリア、どっちが好き?」と聞いてまわってみた。念のため確認しておくと、主人公ファハリの妻になる2人の女性で、マリアはあまり裕福でない家庭出身の異教徒(キリスト教徒)のエジプト人で、論文執筆を含めてファハリにいろいろ世話を焼いてくれた人。他方、アイシャはドイツ国籍のトルコ系ムスリムで、とっても裕福な家庭の出身。ファハリの先生の勧めもあってアイシャと結婚するけれど、家柄は違うし話はマリアとの方があうしで、これは最終的にマリアとの愛に目覚めて2人が結ばれるのかなと思いきや、ファハリへの失恋に苦しむマリアが病に倒れ、目を覚まさせるにはファハリと結婚させる必要があるというのでアイシャの勧めのもとこん睡状態のままファハリの2人目の妻にして、マリアの意識は戻るけれど2人の妻との関係でファハリが苦労すると、最後にはマリアが自分があれこれ望みすぎたのが間違っていたと後悔して死んでいくという「そりゃないだろ」という終わり方。映画では明らかにアイシャが肯定的に描かれているけれど、インドネシアのほとんどの女性は失礼ながらあんまりお金持ちではないだろうからどちらかといえばマリアの立場に近いはずで、実際のところどっちを支持するのかが気になった。
全部で5軒まわって10人程度に聞いてみると、ほとんどすべての人がアイシャ派だった。理由を聞くと、マリアは貪欲に求めているのに対してアイシャは自己犠牲の精神があるからだそうだ。それって逆じゃないのかと思うのだけれど、みんな口々に同じ答えを返してくる。言ってしまえば「勝ち馬に乗る」という考え方で、それ自体は理解できなくはないんだけれど、どうもすっきりしない気持ちが残った。
そのことをあれこれ考えていて、もしかしたら話が逆かもしれないと思った。もしかしたら、アイシャのような人とマリアのような人のどちらが好ましいのか、多くの人に特に決まった考えはないのかもしれない。映画ではアイシャが正しいと描かれているため、それを見てアイシャの方が正しいのかと思い、アイシャを支持すると言うようになった。もしそうだとすると、映画『アヤアヤ・チンタ』は、アイシャを勝ち残らせることによって、アイシャのような生き方が望ましいというメッセージを発し、インドネシア若い女性たちはそのメッセージをうまく受信したということになるのかもしれない。
ちなみに男たちはどう考えるのかを聞いてみようと思ったけれど、みんな「観てないのでわからない」という。全国で350万人が映画館に足を運んだというのだから、そのうち数十万人は若い男だったのではないかと思うので、誰に聞いても「観ていない」というのはちょっとおかしい。「どちらか一方を選べ」という問いの立て方が間違っていたのか、恋愛映画の話をするのは男らしくないということなのか、それともたまたま一緒に映画に行く相手がいない男ばかりにあたってしまったということだろうか。