Panggil Aku Pheng Hwa

Q!映画祭のプログラムを見ていて、ぜひ観たかったのがインドネシアの「May」。1998年5月の反華人暴動から10年経ったいま、当時の様子を振り返った作品。これも16日の午後なので時間の都合がつかない。
そのかわりというわけではないけれど、本屋で見つけたのが
Panggil Aku Pheng Hwa (Veven Sp. Wardhana, KPG, 2002)
という短編集。
本の題と同じタイトルの短編「私をペンフアと呼んでください」では、主人公は中華系インドネシア人で、身近な人からはPheng Hwaと呼ばれている。Ping Anと呼ぶ人もいる。身分証明証ではWardhanaと書かれていて、役所ではその名前で呼ばれる。インドネシアや外国で暮らしているうちにしだいにWardhanaという名前が自然になってきた。ところがあるとき、外国から帰ってジャカルタの空港に降り立つと、空港の様子がいつもとまるっきり違う。(短編の中では明示されていないけれど、1998年の反華人暴動の直後に帰国した設定になっている。)まるでタイプスリップしたようだという気がして、まわりの人に「今は何年ですか」と尋ねるけれど、年を尋ねられる意味がわからずにまわりの人は日にちや曜日を答えたりする。そういうやり取りをしていてわけがわからなくなった主人公は、「私の名前はPheng Hwaと呼んでください。知りたいのは日付や曜日ではなく年なんです」と言って、物語が終わる。
インドネシア華人アイデンティティをテーマにした短編だというのはわかるのだけれど、短編のタイトルでもあるラストシーンの「私をペンフアと呼んでください」という台詞をどう考えればいいのか。Wardhanaという名前にすっかり慣れていたはずなのに、パニック状態になるとPheng Hwaという本来の名前が出てくる、いくらインドネシア人に同化したように見えても、根本のところで華人性は残っていて、ふとした時にでてくるものなのだ、という理解も可能だけれど、これだとちょっと深読みが足りないか。


それはそうと、気になったのは主人公の名前。Pheng HwaとPing Anという2つの名前で呼ばれているけれど、どうしてこの2つなのか。おそらく福建語と華語なんだろうけれど、PhengとPingは同じだとしても、HwaとAnが同じ字だとは思えない。
著者の名前のVevenにはPhengが、WardhanaにはHwaがそれぞれ変形して残っていると考えられるので、Pheng Hwaの方が実際の名前だとすると、Ping Anというのはどういう意味でつけられたんだろうか。親しい人に「An」をつける慣習があるとか? Pheng HwaとPing Anをそれぞれ漢字でどう書くかがわかるといいのかもしれないけれど、それもよくわからない。まさか平安じゃあないだろうし。