雑誌の編集部まわり

4ヵ月ぶりのジャカルタでは、まず各種雑誌の編集部まわりから。

バタック雑誌「Tatap」の編集部に行くと、第5号から第7号まで刊行されていた。いずれも各界の著名なバタック人を紹介していて、5号は科学者、6号はCEO、7号は女性。

別のバタック雑誌「Etnik」の編集部では、ボブさんが相変わらず快調に飛ばしていた。Etnikも第3号が出ていた。最近日本ではインドネシアと言えば介護士・看護士の受け入れが話題だというと、海外出稼ぎインドネシア人労働者(TKI)問題のことか、昔は男が出て行って建設業などで働くのが多かったけれど、最近では女が出て行って家事労働などで働くのが増えた、でもバタック人の女が海外に家事労働に行くことはないので、海外でいろいろ問題になっているインドネシア人労働者問題はジャワ人の問題だ、とのこと。

海外出稼ぎインドネシア人雑誌の「Media TKI」の編集部でも、相変わらずTKI問題を熱く語ってくれた。ここでもバタック人女性の海外出稼ぎについて聞いてみたけれど、バタック人は家の観念が強く、妻が外国に働きに出ているという恥ずかしい状態は親戚が認めないのでありえないとのこと。

映画雑誌「F」の編集部では、今年4月の時点では第10号を準備中とのことだったけれど、第10号はまだ出ていなかった。編集部のリノベーションが終わったので電話は通じるようになったらしい。同じ建物のKinematekは前回寄れなかったので今回のぞいてみると、映画やテレビドラマのシナリオなど各種資料がたくさんあった。日本からはなぜか大阪の研究者がよく来ているようで、日本から来たと言うと「大阪から?」と聞かれた。

「Chinatown」は、編集部には行かなかったけれど、本屋で第9号が売られているのを見つけた。

独立後インドネシア初のジャウィ雑誌「Cahaya Nusantara」の編集部に行くと、ついに停刊してしまったらしい。2009年に再開したいとのこと。