Pheng Hwa再び

先日書いたPeng Hwaについて。
Q!映画祭 - ジャカルタ深読み日記
前回は深読みが足りなかったのであれから少し考えてみた。
物語の結末を確認しておくと、外国から戻ってジャカルタの空港に降り立ったインドネシア華人のPheng Hwa(別名Ping An、身分証明証ではWardhana)が、様子がいつもと違うのを感じて、まるでタイムスリップしてしまったようだと思ってまわりの人に今何年かと尋ねると、「5月15日だ」と教えてくれるけれど何年かは教えてくれない。しかもまわりの人には不審そうに見られている。そこで取り乱したPheng Hwaが「私の名前が知りたいならPheng Hwaと呼んでください。知りたいのは日付や曜日ではなく何年かなのです」と叫んで物語が終わる。
この手の話(つまり東南アジアでの反華人に関する話)で「5月15日」と聞いて思い浮かぶのは、マレーシアで1969年5月13日に起こった民族間の衝突で100人以上が死亡した事件だ。マレーシアではいまでも「5月13日事件」と呼ばれている。そう考えれば、「5月15日」というのは「反華人暴動の直後」という意味になる。私の深読みなので、インドネシアでそれがどれだけ一般的な理解なのかとか、この短編集の著者がそれを踏まえていたのかとかは気にしないことにする。
さて、「5月15日」と年号なしで答えているのは、特定の年に起こった反華人暴動ではなく、いつでも起こりうる反華人暴動のことを指しているから。これに対してPheng Hwaが「日付ではなく何年かが知りたいんだ」というのは、反華人暴動は歴史上の出来事に過ぎず、今が何年かさえ特定できれば反華人暴動から逃れられるという思いがあるため。
つまり、
「今は何年ですか」
「5月15日です」
「日付ではなく何年かを教えてください」
というやりとりは、
「今年は反華人暴動が起こる年ではないですね」
「反華人暴動はいつでも起こりえます」
「いつでも起こるのではなく過去の特定の年にだけ起こったものだと言ってください」
というやり取りだということになる。「何年何月」は毎年繰り返して起るものだけれど、「西暦何年」は一度しか起こらないからだ。


このように、Pheng Hwaは今の年号をアイデンティファイすれば、自分が反華人暴動から逃れられると思っている。「私の名前ならPheng Hwaだ」というのもそれと同じ発想だろう。インドネシア名ではなく華人名のPheng Hwaを名乗っているため、混乱状態になると華人アイデンティティが出てくるという理解もあるようだけれど、Pheng Hwaにとってアイデンティファイすることが暴動に巻き込まれないための手段であることを考えるならば、ここでPheng Hwaを名乗ったのは華人性の主張ではなく、「私は私だ」と名乗りを上げていると理解すべきということになる。では、どういう名付け方に対してそう名乗っているのか。個別の名前を取り上げた「おまえは華人だ」という名付け方ということになるだろう。


まだ全部読んでいないけれど、どうやらこの短編集は、1つ1つは読みきりだけれど、全体で1つの物語を読み取ることもできるような仕組みになっているようだ。2つ目の短編では、Pheng Hwa(という名前ではないけれど)が恋人であるようなないような関係の女性とのインターネット上での会話が中心になっている。出会った時に名刺ではなくメールアドレスを交換したとか、今どこにいるかは重要ではなくインターネットで会話できることが重要だとか、いろいろと興味深い。