バンダアチェのロティチャナイ屋

2004年12月の津波直後には世界中からの支援関係者でにぎわっていたバンダアチェも、津波から3年半になるとほとんどの支援団体が撤退して、街を歩いていても国際色がだいぶ薄くなった。バンダアチェインドネシアの地方都市の1つのようになってきたという言い方もできるかもしれない。
そんなバンダアチェで「マレーシア料理店」を見つけた。津波後にできた有名なレストラン「インペリアル・キッチン」のすぐそばにある。料理店というよりもコーヒーショップに近く、メインはロティチャナイ。ほかにテータレもある。そして店の名前がMamak。どうしてアチェにマレーシア料理なのかはともかく、名前がMamakというのが気になる。
マレーシアでMamakと言えばインド人ムスリムのことを指す。自称ではなく、インド人ムスリムはどいつもこいつもムハンマドという名前なので誰に名前を聞いてもム〜とかマ〜とか言っている、というようにインド人ムスリムのことを小馬鹿にした呼び方がMamak。ほかにもいくつか説があるらしいけれど、いずれにしろマレー人ムスリムがインド人ムスリムを自分たちと違うという思いを込めて呼ぶ言葉だ。差別語とまでは言わないけれど、初対面のインド人ムスリムの前で口にするのはためらわれる。それなのに、よりによって店の名前につけるとはどんな根性をしているのかと思って行ってみた。
行ってみると答えは簡単、店のオーナーはインド人ではなく、マレーシアで何年か暮らしていたアチェ人だった。通称「ママ・ショップ」で働いた経験があり、津波後にアチェに帰ってきて店を開き、その店にMamakとつけた。それならわからないこともない。でもMamakってつけるかねえ。マレーシアのインド人ムスリムが来たら気を悪くするかもしれないのに。
聞いてみると、クアラルンプールのチョーキットにいたらしい。インドネシア人、特にアチェ人がいることで有名なエリアだ。そこのコーヒーショップで働いて、ロティチャナイの作り方などを覚えたらしい。
どんなロティチャナイが出てくるのかと思ったら、ジャカルタで見かけたロティチャナイ屋から半ば想像はついていたが、案の定あまいロティチャナイだった。くるくる回して生地をのばすのは普通のロティと同じだけれど、のばしてから砂糖やらチョコチップやらを入れてから畳んで焼く。薄い生地の向こうに茶色や緑色の「具」が透けて見えているので、鉄板の上で色とりどりのロティが焼かれている。
確かにクレープみたいなものだと思えばチョコや砂糖を入れてもおかしくはないけれど、マレーシアでロティチャナイを食べ慣れている自分の感覚では、ロティチャナイにチョコを入れるのはご飯にチョコをかけて食べているようなもの。これは食わず嫌いになりそう。
店の中には「大声でしゃべったり笑ったりすると他のお客の迷惑になります」という貼り紙があった。アチェの食堂でそんな貼り紙は見たことがないので、マレーシアでの経験をもとに作った貼り紙なんだろう。マレーシアの食堂にもそんな貼り紙はあんまりないと思うけれど、実際にそういう貼り紙があるかどうかではなく、マレーシアでは食堂がお客にそういうことを求めるところというか、お客が食堂でそのようにふるまうことが求められているという意識でマレーシアを見ているんだなあというのが興味深い。
店を出ると、看板に「Aceh Boleh!」と書いてあるのに気づいた。言うまでもなく、マレーシアのとっても有名なスローガン「Malaysia Boleh!」(マレーシアはできる!)のマレーシアをアチェにかえたものだ。ただの真似と言えば真似だけれど、「アチェはできる!」とアチェの人々が自信を持って言える日が来るための一歩として意味のある真似になることを祈る。