アチェ

インド洋津波から12年のアチェ

数か月ぶりのアチェ訪問。前回の滞在は会議ばかりで街に出る時間があまりとれなかったけれど、今回は短い滞在ながらも郊外を含めて外に出かける時間が少し取れた。 2004年12月のインド洋津波から13年目を迎えようとしているバンダ・アチェでは、津波の被害と…

コピ・ルワックと津波コーヒー

最近のインドネシアではやっているものといえば、コピ・ルワック。ほとんどどこに行っても見かけると思うぐらい。 ルワックとはインドネシア語でジャコウネコのことで、ジャコウネコがコーヒーの実を食べて、その体内を通って糞として排出されたものを集めて…

津波5周年

今年の12月26日は数年ぶりにアチェ以外の場所で迎えた。津波5周年のアチェの様子はテレビなどで見た。その多くが「援助漬けで自助の考え方が失われた」「イスラム化が進んでいる」という話になっていたが、これはどうしたものか。 知り合いの新聞記者は、そ…

アチェと災害の本

メダンとジャカルタで見つけたアチェおよび災害に関する本。 Tsunami! (Corien Oranje, Geramedia, 2009.) ティーン向け小説。バンダアチェで津波に遭った少女デウィが父親たちとともに生活の再建に乗り出すまで。最後に家の建設に着手した父親はコーヒーシ…

アチェ映画「Eumpang Breuh」特別編

アチェ映画「Eumpang Breuh」は、すでに第6作まで作られているアチェの大人気シリーズ。アチェの田舎を舞台にしたコメディ。第1作しか観ていないけれど、ノリはマレーシアのP.ラムリー映画。全編アチェ語で字幕なし。言葉がわからなくても見ているだけで笑え…

出版を通じたアチェへの関わり

大モスクをぐるりとまわって本屋をまわる。大モスクを取り囲む形で営業している本屋は少なくとも8軒になった。2004年12月の地震で崩れたZikra書店が元の場所のすぐ近くに戻ってきたので、それを入れると大モスク周辺の本屋は9軒になる。入口にガラス張りのド…

フットサルとアチェ復興

バンダアチェで日本を含む各国の代表が集まった復興支援の監査会議が開かれ、その結果を受けてアチェの復興支援の資金の使われ方がインドネシア国内でもちょっとした話題になっている。もともといろいろな組織や団体からいろいろな形でアチェに復興支援が入…

アチェ映画「Leumak Mabok」

なじみのCD屋に顔を出すとアチェ映画「Leumak Mabok」を勧められた。デジタル撮影された初のアチェ映画で、DVDで売られる初のアチェ映画との触れ込みで売られていた。街角に宣伝の横断幕も出ていたのでかなり力を入れて売り出している様子。 全編アチェ語な…

ヘルシンキ合意記念日の行進

ジャカルタからバンダアチェへ。いままではジャカルタからバンダアチェに飛ぶと必ずメダンでトランジットしていたのだけれど、今回はなかなかメダンにつかないと思っていたら窓の外に仏陀ツーチーの青い復興住宅が見えてきて、あれれと思っている間にバンダ…

アチェの津波小説

Tere Lyye. Hafalan Solat Delisa. (Penerbit Republika, 2009) こんな小説がインドネシアでかなり売れているらしい。レビューを見かけただけで実物は見ていないけれど、この夏の買い物リストとしてメモしておこう。 2004年のインド洋津波を題材にした小説。…

アチェ映画「Silent after War」「Tsunami Song」

アチェ人によるアチェを題材としたドキュメンタリー映画「Silent after War」と「Tsunami Song」の2つを観た。 本来は「Silent after War」の上映会だったのだけれど、主宰者のご好意で、同じ監督による「Tsunami Song」も観せていただいた。この2つがちょう…

「象の間で戯れる」――喧嘩のふりして戯れ、戯れるふりして喧嘩する

縁あって「象の間で戯れる」(Playing between Elephants)という映画を観た。アメリカ在住のインドネシア人監督が撮った映画で、2004年12月のスマトラ沖地震・津波の被災地であるアチェでの住宅再建事業に密着したドキュメンタリーだ。 映画のデータや基本…

アチェの津波博物館

津波博物館はバンダアチェの大モスクの隣の公園脇にある。外観は船を模しているという説もあるけれど、皮をむいたパイナップルだという人が多い。でも私は秘かに科学特捜隊の基地だと思っている。 津波が発生したとき避難所になることも想定しているらしく、…

チェスの多面指し

津波から4年目のアチェでは、外国人の姿はかなり減ったけれど、アチェ内外から人々が集まったイベントがいくつも行われていた。 全国の政党が集まってそれぞれ旗を立ててアチェでの陣取り合戦をしていたり、イスラム教団体が説法集会を開いたり、ビジネス専…

アチェ津波4周年(2) 津波犠牲者の弔い方

12月26日、アチェで津波犠牲者の追悼式典が行われた。バンダアチェでは、海岸近くの集団埋葬地で式典が行われ、生き残った人々が亡くなった人たちのためにコーランを詠んだ。 この様子は「共同墓地で追悼式」と語られたりする。それが間違いだというつもりは…

アチェ津波4周年(1) 「世界の国にありがとう」公園

バンダアチェの大モスクのそばに広場がある。独立記念日などの式典に使われる。4年前の津波のとき、地震で野外のスピーカーが倒れた映像が日本のテレビでも報道されたけれど、それがこの場所。津波当日は日曜日だったので、朝から市民が集まって体操をして…

アチェのVCD

だいぶ長くかかった引っ越しもだいぶ落ち着いてきた。 置き場がなくて仕舞いこまれていたDVDやVCDもたくさん発掘された。 冬休みに重複して買ってしまうことを避けるため、持ち物リストをメモ。 アチェで売られていたVCD。 劇映画、イスラム説法、歌・カラオ…

津波被災地で健康腹巻き

どう考えればいいのかうまく整理がつかないことがあるので書いておく。敢えて極端な表現をすると、「アチェで女性の津波被災者をターゲットにした催眠商法まがいのセラピー・ビジネスが活動していて、それが日本から来ていると言っている」という話。 2004年…

地獄で健康サンダル

バンダアチェではムラユ・ラヤ(大マレー民族)を記念するイベントがあったり海岸近くの津波被災地にレストランが開店していたりといろいろ興味深いことがあるが、そんななかでもおもしろかったのが市内の仏教寺院での話。 華人は亡くなると遺族が紙でできた…

バンダアチェのロティチャナイ屋

2004年12月の津波直後には世界中からの支援関係者でにぎわっていたバンダアチェも、津波から3年半になるとほとんどの支援団体が撤退して、街を歩いていても国際色がだいぶ薄くなった。バンダアチェもインドネシアの地方都市の1つのようになってきたという言…

スルタンの杖

『すばる』5月号に掲載されている小説「スルタンの杖」を読んだ。 タイトルは、「スルタンの杖を洗った水で水浴びしたものは特別な能力を持つ」というモスクの番人ハッサン老人の話に由来している。アチェ王国が最盛期を迎えた頃のスルタンであるイスカンダ…

すばる

朝、用事があって空港へ。ところが高速が大渋滞。しまいには高速の入り口からの合流口を逆走して高速を降りる車が続出したけれど、でも下の道は下の道で大渋滞で、結局空港まで3時間半かかった。道路整理の警官に渋滞の理由を尋ねたら「高速道路の工事のた…

プラザ・スナヤン

今日は雨が降らなかったのでジャカルタのモールめぐりでプラザ・スナヤンへ。 3階のレストラン街に亞坤(ヤクン)カヤトーストと鼎泰豊(ティンタイフォン)が並んでいた。鼎泰豊は日本にもあるそうだけれど、私にとって鼎泰豊といえばシンガポールだ。2、3…

シムル島(スマトラ島)の地震(続き)

2月20日に発生したスマトラ島(アチェ)の地震について、インドネシアの某局のラジオ放送を聞いていて思ったこと。 聞き手はラジオ局の女性、電話インタビューの相手はアチェ在住の社会省?職員。以下、ラジオで流れた問答の内容。 「救援の状況を教えてくだ…

シムル島(スマトラ島)の地震

ジャカルタでは何も感じなかったけれど、今日(2月20日)の午後3時8分頃にスマトラ島北部で地震があったらしい。テレビのニュースではメダンのショッピングモールから人々が避難している様子などが流された。 メダンの知り合い何人かに連絡を取ると、メダン…

ジョグジャの防災情報拠点(続き)

先日の続き。 ジョグジャカルタで京大東南アジア研究者による防災情報拠点がある村を歩いていると、地震で倒壊したままの家が何軒かあった。1年半も経つのに崩れたまま放置されている。被災直後に政府の被害調査があり、所有者がその家に住んでいないと再建…

学問の都ジョグジャカルタ

ジョグジャカルタ市内にタマン・ピンタルといういかにもな名前の文教複合施設のようなものがある。本屋が集まっていると聞いて行ってみた。確かに本屋が集まっていたが、それだけではなかった。学問の都と呼ばれるジョグジャカルタの底力を垣間見たような気…

ジャカルタ華人雑誌 Chinatown

バタック以外の雑誌にも行ってみたいということで、今日はChinatownの編集部を訪問。クラパ・ガディンという最近急速に開発が進められているらしいエリアのGading Bukit Indahという住宅街にある。Chinatownは2007年9月の創刊。ただし、この編集部はこれまで…