津波5周年

今年の12月26日は数年ぶりにアチェ以外の場所で迎えた。津波5周年のアチェの様子はテレビなどで見た。その多くが「援助漬けで自助の考え方が失われた」「イスラム化が進んでいる」という話になっていたが、これはどうしたものか。
知り合いの新聞記者は、そのような話にまとめないと紙面がもらえないのだと言っていた。そういう業界内の事情もあるのだろうけれど、外部世界がアチェにどのようなまなざしを向けるかはアチェの人々が今後のアチェのあり方を考えていく上で重要な要素なので、人類社会の将来のことを意識したメッセージ性を持たせた記事を書くことはできないものか。
日本語で書いているからアチェの人々とは関係ないと思ったら大間違い。その日本語の記事を読んでアチェのイメージを作った人たちがたくさんアチェ入りしている。いまの時代には、報道でも研究でも文芸でも、表現することが表現対象に何の影響も及ぼさないと信じられる状況はほとんどないと考えた方がよいのではないか。


ついでにアチェ津波博物館について。資金不足で電気もないし展示物もないので開館できないという記事があった。10月に訪問したときも津波博物館の担当者が同じようなことを言っていた。
でも、あの津波博物館は建物自体に意義があるので、展示物があろうが無かろうが、まず会関してはどうか。開館すれば、アチェの新しい観光名所として多くの観光客が訪れるかもしれないし、そうすれば展示物を揃える資金も集まるかもしれない。


そんなことを考えながらホテルにこもって原稿書き。編者が美文家で何度も書き直しを命じられた英文原稿をようやく提出する。これで年内に提出する原稿は終わり。その解放感からか、面識はないけれど書き物を通じて知っている人にファンレターのようなものを送ってみる。突然そんなメールをもらったらやっぱり不審がるだろうなと思って送るべきか迷っていたけれど、気に入っている相手にはちゃんとそう伝えなさいというヤスミンの教えに従ってみることにした。