「ボルネオ」の熱帯雨林と弓矢

setiabudi2009-12-28

久しぶりのコタキナバル。日曜日なのでガヤ街のマーケットへ。骨董品屋の店主に会い、クダット沖で引き揚げられた沈没船から出てきた北宋の陶磁器という器を見せてもらう。でも、素人の私にはどう見てもつい最近焼いた器にしか見えない。一皿5万円にまけてやると言われるが丁重にお断りする。
続いて1ボルネオへ。前よりも店が増えていたが、おもしろかったのは映画館のそばのお化け屋敷とスポーツクラブ。
お化け屋敷は「Borneo Rainforest」という名前だった。そりゃあボルネオの熱帯雨林といえば何が出てくるかわからないジャングルで怖いイメージだというのはわかるけれど、でも当のボルネオでそれをやっても説得力に欠けることはなはだしい。キミたちは何世代か遡れば多かれ少なかれボルネオの熱帯雨林のようなところで暮らしてたんじゃないの、それをお化け屋敷みたいに言うのはどういうことなの、なんて思ってしまう。
思えば1959年、サバがイギリス領北ボルネオだったころ、後にサバの初代州首相になるドナルド・ステファンなる人物がアメリカを訪問した際に、コニーアイランドの遊園地で「ボルネオの野性児」というアトラクションを見て、自分が本物の「ボルネオから来た男」だと告げたら変な顔をされたと旅行記に書いている。「ボルネオ」といってもアメリカでは野性児が住む密林だとしか思われていない、だから世界に知られるようにしようとあれこれ努力して、その一環として北ボルネオという名前をサバにしたりしたのだった。ステファンはすでに亡くなっているが、それから50年たってサバの若者たちが「ボルネオの熱帯雨林」というお化け屋敷を開いていると知ったらステファンはどう思うだろうか。
その隣には、矢が9本9リンギでアーチェリーの試し打ちをさせてくれる店があった。インストラクターのお兄さんの指導を受けて、小ぎれいな格好をした青年たちがアーチェリーを楽しんでいた。でも、キミたちのおじいさんたちはそれこそ「ボルネオの熱帯雨林」で動物たちを仕留めていたんじゃないのか、こんなところでわざわざお金を払ってやり方を教えてもらって弓矢遊びをするとはどういうことなの、なんて思ってしまう。いや、おじいさんたちが動物たちを捕るために使っていたのは弓矢ではなく吹き矢だったか、だったらいっそのことアーチェリー屋ではなく吹き矢屋を作ったらどうだろうか。意外と流行るかもしれない。