シムル島(スマトラ島)の地震(続き)

2月20日に発生したスマトラ島アチェ)の地震について、インドネシアの某局のラジオ放送を聞いていて思ったこと。
聞き手はラジオ局の女性、電話インタビューの相手はアチェ在住の社会省?職員。以下、ラジオで流れた問答の内容。
「救援の状況を教えてください」
「昨日の夜、救援物資と人員がトラック3台に分乗してバンダアチェから出発したところです」
「バンダアチェから被災地に向かったんですね」
「いや、南アチェ県のラブハンハジに向かっています」
「シムル島に行かないのはどうしてですか」
「シムル島への船はラブハンハジから出ているのでそれに乗るんです」
「船はもう用意されているんですね」
「いや、船は今朝シムル島を出て、いまラブハンハジに向かっているところです」
「その船がシムル島に向かうのはいつですか」
「今夜か明日の朝にラブハンハジを出てシムル島に向かいます」
「今夜か明日の朝? どうしてそんなに遅いんですか」
「船が着いたら荷物を降ろしたり積んだりするのでそのくらい時間がかかるんです」
「今は緊急事態なのだから、船を増やして1時間ごとに出すとかしてはどうですか」
「政府の船は1隻しかないんです」
「その船は今どこにあるんですか」
「今朝シムル島を出てラブハンハジに向かっています」
「シムル島からどのくらいかかりますか」
「天候にもよるけれど、海が荒れていなければ10時間程度で着きます」
「10時間・・・。その船がシムル島に行くのも10時間かかるんですか」
「今は海が荒れていないので10時間程度で着くと思います」
「・・・遠いんですね。船はその1隻しかないんですか」
「そうです。ラブハンハジとシムル島のあいだを週に3往復しています。」


おそらくジャカルタ在住でスマトラ島北部の被災地の事情がよくわからないであろう質問者もこのあたりでようやく状況がわかってきたようだけれど、それはともかく、被災地の事情を十分に理解せず、とにかく「被災者に支援物資をいち早く届ける」ことしか頭にない質問者に対し、回答者が淡々と答えていたのが印象に残った。やるべきことはやったのだから、今さらじたばたしてもどうにもならないし、シムル島へのアクセスの実態についても外の人たちに知らせることができたので、その回答者は自分にできる限りで十分な仕事をしたのだと思う。
さて、「被災者に支援物資をいち早く届ける」だけではよろしくないというのならば、どうすればいいのか。ここでは、日本の支援の得意分野を念頭において、やや大胆に提案してみたい。


今回のシムル島の地震でも問題になったことの1つに情報が途絶えていることがある。その大きな理由は電話が通じないことだ。電話はアチェ津波でもジャワの地震でも問題だった。
電話の線が切れたり塔が倒れたりということもないわけではないけれど、むしろ停電のために携帯電話の充電ができないこと、そしてプリペイドカードの供給が途絶えて度数がなくなり電話がかけられなくなったことなどが挙げられていた。今回のような遠隔地に緊急支援に入る人は、簡易発電機を持っていって携帯電話に充電させてあげるというのはどうだろうか。少数の調査者が被災地入りして自分たちの見聞きした範囲で情報収集するだけより、被災者が他地域の知り合いに情報を伝えることで被災地の様子が知られるようになるということもあるのではないか。
情報といえば、停電になるとテレビが見られないために被災者が情報収集できないという問題もある。ジャワ地震でも地震直後に停電し、情報収集で役に立ったのは乾電池を電源とするラジオだったらしい。(地震直後に乾電池代が高騰したそうだけれど。)


スマトラ島北部の西海岸には、スマトラ本島から船で10時間ぐらい離れたところに島がいくつも並んでいる。大きいものだけ挙げても、北から、シムル島(アチェ州)、ニアス島(北スマトラ州)、メンタワイ諸島(西スマトラ州)などがある。これらはいずれもこれまで規模の大きな地震の被害を受けてきたし、これからも地震にあうことが予想されている。
いずれもスマトラ本島からかなり遠く、しかもそれぞれ独自の言葉や文化を持った人々が住んでいるため、歴史の巡りあわせによっては島ごとに独立国になっていたとしてもおかしくないと思えるほどだ。ただし、いずれも最寄りの陸地がスマトラ本島なので、スマトラ島の一部という扱いを受けざるを得ない。
スマトラ本島の各州はムスリム色が濃いため、非ムスリムが相当数を占めるこれらの島々では、政府主導の開発政策をどのように受け入れるかという問いが、「開発か伝統か」という形となって語られることになる。


もう1つの問題は、インドネシアで1999年以降起こっている地方分権化の動きだろう。インドネシアでは各地で新州が誕生し、県や市が分割されている。
スマトラ島西岸沖のこれらの島も、従来はスマトラ本島にある県の一部だった。しかし、今では分立してそれぞれ単独の県としての地位を得ている。
制度上は、独自の県となることで地元の特徴を生かした地方行政ができるようになった。しかし、島には財源がほとんどないため、地元の特徴を生かした地方行政といっても実体を伴わないものも少なくない。実態としては、本島の県から切り離されたという側面が大きいようにも思われる。
これらの島で災害が起こると、従来はその島を行政区画に含む本島の県が対応してきた。しかし、いまや県どうしとして対等の関係にあり、本島の県は被災状況の把握や支援活動の実施に積極的に関わる立場になくなっている。島にある県政府は州政府と直接やり取りしなければならず、このことが災害時の情報収集などの遅れを招いている側面がある。


さて。スマトラ島北部のこの地域はこれからも地震が続くと予想されている。そのため、早期警報装置や防災教育などなどのさまざまな取り組みがなされている。そのような支援活動の1つとして、島に地元のラジオ放送局を作るというのはどうだろうか。
何年か前にスマトラ島でJICAでラジオ技術のプロジェクトに取り組んでいる人と会ったことがある。そのときはラジオ技術にそれほど興味をもたなかったけれど、今後は防災との関連でラジオ技術が重要になるかもしれないと思う。
それぞれの島にラジオ局を作り、地元の言葉とインドネシア語の両方で放送するようにすれば、ふだんは地元の文化を維持・発展させるとともにインドネシアの他地域との繋がりも密にすることが期待され、しかも災害時には島内向けにもスマトラ本島向けにも情報を発信することができるのではないだろうか。
日本の援助の得意分野でもあるし、防災と地元文化の維持・発展を組み合わせたこの事業はかなり意味があるのではないかと思う。