「象の間で戯れる」――喧嘩のふりして戯れ、戯れるふりして喧嘩する

縁あって「象の間で戯れる」(Playing between Elephants)という映画を観た。アメリカ在住のインドネシア人監督が撮った映画で、2004年12月のスマトラ沖地震津波の被災地であるアチェでの住宅再建事業に密着したドキュメンタリーだ。
映画のデータや基本的な情報は他のサイトを参照していただくとして、本当によくできている映画で、開発協力や人道支援などの大学の授業の教材に最適だと思った。それと同時に、この映画を観て、特に村長をどう見るかで感想が大きく分かれるらしく、これも興味深かったが、それについては後で。
 
映画の舞台について
この映画の舞台となった東グンティン村とは、インドネシアアチェ州の東海岸にあるピディ県バテー郡に位置している。(日本語の映画の紹介文には村の名前を「東グウンティン村」と書いているものがあるけれど、ここでは現地での言い方に似せて「東グンティン村」とする。)
2004年12月のインド洋大津波では、震源スマトラ島の西海岸沖だったため、西海岸のムラボやスマトラ島北端のバンダアチェは巨大津波の直撃により大きな被害を受けた。しかし、この映画の舞台となったアチェ東海岸では巨大津波の直撃を受けず、マラッカ海峡をまわり込んできた津波の被害を受けることになった。そのため、ムラボやバンダアチェに比べて人的被害や建物の被害は小さく、このことが東海岸の被災地に3つの特徴を与えることになった。
1つめは、国内外から押し寄せた人道支援団体やジャーナリストたちの関心が西海岸やバンダアチェに集中し、東海岸の被災地にほとんど向けられなかったこと。2つめは、スマトラ島の物流の拠点であるメダンからアチェの西海岸やバンダアチェへ支援物資を運ぶ幹線道路が東海岸沿いに走っていたため、東海岸の被災地ではトラックが何台も通るがそのほとんどが自分たちの村に物資を配ってくれるためのものではなかったこと。そして3つめは、近隣の村々から仕事を求めて出てきた人々が復興事業の作業員として雇われたこと。
2つめに関しては、東グンティン村は幹線道路から外れているので西海岸やバンダアチェに向かう大量のトラックのすべてが村を通ったわけではないが、付近の村々への支援物資の通り道となることは避けられない。「象の間で戯れる」でも、西グンティン村に資材を運ぶトラックが何台も通るために東グンティン村の橋が壊れるというエピソードがあった。また、3つめに関して、建設作業が遅れているために作業員を交代させようとして、別の村から働きにきている作業員との間で口論になる場面もあった。
 
さまざまな駆け引き
映画「象の間で戯れる」では、災害被災地での住宅建設という復興事業を例にとり、異なる考え方をもつ人々が共同で1つの事業を進めていくことの難しさと、その過程での人々の駆け引きが描かれている。考え方が異なる人々が1つの事業を進める場合、それぞれの異なる論理が理解できる人が間に立ってうまく橋渡しをすることが必要になる。この映画では、村長がそのような立場におかれて奮闘する姿が描かれている。
例えば、ドナーである国連ハビタットの白人職員は、契約に基づく原則に照らしてダメなものはダメと言い、やり直しさせることで相手を動かそうとする。これに対して村長は、建築中の家の前でセメントの塗りが十分でない柱を指して「ここもここもダメ」と言われると、それに直接答えず、隣の柱を指して親指を立て、「これはいいだろ?」と言ってみる。悪いところを指摘して一部の人だけにやり直しさせる方法ではこの地域の人々は動かないし、なによりもやり直しをさせると取り壊しの労賃が発生するのでかえって問題が拗れるため、間に立つ村長としては「参ったなあ」という顔をして国連ハビタットからのやり直し命令をやり過ごすしかない。
(結局、取り壊してやり直しになった。その意味では国連ハビタットの論理が通ったことになる。が、村人や作業員にしてみれば、取り壊しの労賃やその他の経費はそのつどもらわなければならないというわけではない。プロジェクトが完了するまでに揉めるポイントがいくつかあるので、そのうちどこかで自分たちの要求が通ればいい。ということで、駆け引きはそのときまでお預けになったという程度でしかない。)
村長も、ただ参ったと頭を抱え込んでいるだけではない。住宅建設よりも橋の修復を優先するという方針が出てくると、「それじゃあ前に村に来たNGOと同じだ。家を作ると約束したのに結局実現しないままになった・・・村に帰って村人にどう説明しようか」と困った顔をする。別のところで語られるように、「前に来たNGO」というのは、以前この村に来た支援団体の活動方針か活動内容が村人たちに受け入れられず、村から力づくで追い出された一件を指している。そうとは決して言わないけれど、「お前たちも追い出してもいいんだぞ」というメッセージがきちんと伝わるようになっている。しかも、それまでアチェ語で話していた村長はこの部分だけインドネシア語で話しており、その場にいる外国人、さらにはカメラを通じた外の世界の観客を意識して語っている。
駆け引きしているのは村長だけではない。村人たちも当然さまざまな場面で駆け引きしている。一番印象的だったのが、最後に国連ハビタット側が家の受け渡しをしようとしても受渡し書に署名しないことだ。受け渡し書に署名しない限りは住宅再建事業が終わったことにならず、困るのは国連ハビタット側だとよくわかっている。署名しないと家がもらえないのだから自分たちも困るのではないかと思うかもしれないが、親戚の家に泊まったりするなど方法はいくらでもある。交渉の過程で、国連ハビタット側の若い職員が集会でいろいろなやり方で丁寧に説明しようとするが、村人たちは書類を引きちぎって次々に退場し、国連ハビタットの本部に掛け合ってくるといって出かけてしまう。このような話はインドネシアで何度も聞かされたし、自分自身も似たような経験をしたことがあるので、この一連の交渉の流れはとても身近に感じられた。(なお、映画の最後で、国連ハビタットが度重なる交渉の末に村人たちの要求を呑んで追加資金を支給したことが知らされる。)
村人たちは村長に対しても駆け引きしている。この映画で村長は村人に怒られ、疑われ、ひとり悩む存在として描かれており、インドネシアの村長にしては権威がないように見えるが、映画の最後では再び村長に選ばれている。ということは、村の人たちはこの村長に「友人としてはいいけれど村長としてはダメだ」「金をネコババしているだろう」などとさんざんなことを言っておきながら、それでも村の代表にしておいた方がいいと判断したということだ。村長はそれを「3月以来の働きが評価されて」とうれしそうに言っているが、村人にしてみれば、文句は言うけれど村長にしておく、あるいは村長にするが文句を言い続けることで好き勝手には振舞わせない、ということなのかもしれない。
集会に出ているのは男性ばかりなので男性の駆け引きばかり書いてきたけれど、駆け引きをするのは男性だけではない。最後に村の女性が、家具を運ぶトラックを停めて、明日までに自分の家に家具を持ってくるようにと脅し半分で伝えている。
このように、この映画では、誰もが駆け引きをしながら暮らしている様子が描かれている。被災地の人々はそれぞれの思惑を持って行動している。復興事業の作業をする以上は十分な報酬が必要で、そのためにはサボったり怒ったりゴネたりといろいろな手を使い、そのため事業が予定通り進まなくても気に留めない。支援者側が、家は家、橋は橋、生計は生計と分けて事業を進めようとするのに対し、支援対象の人々は、それらを分けずに全部ひっくるめて自分たちの生活水準の引き上げを狙っている。わかりやすくするために敢えて乱暴な言い方をすれば、支援対象の人々は復興事業を1つ1つ切り分けず、全体で1つのビジネス・チャンスとして捉えていると言えるかもしれない。
 
ビジネス・チャンスとしての復興事業
復興事業をビジネス・チャンスと見ることは、おそらく支援者側の考え方とは大きくずれることだろう。支援者側にしてみれば、恩の押し売りをする気はないにしても、それでも復興のため現地の人々も精一杯働くのが当たり前だと考えるのではないか。それなのに、この映画のように「善意がほしければ銭をよこせ」と言わんばかりに支援を受ける側の人々があれこれ注文をつけると、復興事業が予定通り進まず、支援する側もそれを受ける側も困る、と考えるのではないか。
人道支援の専門家は、この映画で描かれたアチェの東グンティン村を特殊で例外的な社会だと見るかもしれない。この村で支援事業をすることになった団体は災難だったなあ、と思うかもしれない。しかし、この映画で描かれている東グンティン村は特殊な社会なのだろうか。別の問い方をすれば、被災地では外部からの支援に精一杯応じるのが本来の姿で、報酬が少ないと文句を言ったり作業をサボったりするのは例外なのだろうか。
そうではなく、「どの社会でも多かれ少なかれそのような対応をするものだ」というのがこの映画のメッセージの1つなのではないかと思う。そしてそれは、多くの被災地でボランティアをめぐる摩擦が報じられているのと重なるところがあるようにも思う。では、それにもかかわらず、どうして私たちは被災社会がビジネスとしてではなく善意で共同作業することを前提としてしまうのか。
それを考えるには、逆に、どうしてこの映画では村人のさまざまな思惑や対応が見えているのかを考えた方がいいかもしれない。先にも触れたが、この映画には国連ハビタットの白人職員が登場する。彼は被災地を訪れて建築中の家屋を視察し、建て直しを命じる。おそらく彼の目には、村人たちのさまざまな思惑や対応は見えていないだろう。あるいは、見えていても見えないふりをしているのだろう。契約を結んだのに適切に進められていないので契約に従って改善を指示したということだ。
それに対し、この映画のカメラは村人たちの多様な対応をしっかりと観察している。それはおそらく、カメラが無色透明で中立的な存在であるためではない。その逆に、国連ハビタット、地元NGO、村長、村人、作業員などそれぞれの論理を理解した目で見ているためだろう。
さて、はじめに触れたように、これはさまざまな思惑をもった人たちが1つの事業に取り組んでいる映画だった。では、この映画を通して変化したのは誰だろうか。支援者である国連ハビタットは、おそらくこれまでのやり方を大きく変えることはないだろう。支援を受ける側の東グンティン村の村人たちも、彼らなりの交渉によって彼らが望むものが得られたのだから、そのスタイルを大きく変えることはないだろう。となると、この映画を通じて誰も変わらなかったということになるだろうか。いや、この映画を通じて変わったのは、支援の現場にはさまざまな思惑があるということを知った観客1人1人なのだ、というのが私の考えだ。
 
村長をどう見るか
冒頭でも書いたように、私の身のまわりでは、この映画を観た人たちの間で村長に対するイメージが大きく2つに分かれた。
1つは終わり方が腑に落ちないという感想で、映画の途中で何度か出てきた復興資金を村長がネコババしているのではないかという疑惑について、あれは村長がネコババしただろうから、いつかそれが明らかになって村長が捕まるはずだと思ってみていたけれど、最後の最後までネコババ犯が誰か明らかにされず、しかも捕まるはずの村長が再選されて終わっているのでよくわからないということらしい。
もう1つは私と似たような感想で、村長は復興資金のいくらかを自分の懐に入れているかもしれないけれど、それは一筋縄ではいかない村人たちをうまく動員して復興事業を進めていくために使ったりしているのであって、村長がネコババしたかどうか自体はこの映画の主なテーマではなく、さまざまな人々の駆け引きでものごとが動いており、村長は多くの場面でその駆け引きの仲介役になっているけれど、でもその村長が村長であり続けることができるのも別の駆け引きの結果だったりするという世の中のあり方がうまく描かれている、というもの。
映画は発表された時点で観た人がどのように解釈してもかまわないはずだから(だから私がここで好き勝手なことを書いているわけでもあるし)、どちらの解釈の方がより適切かということを問題にするつもりは全然ない。でも、どうしてこうも違う感想が出てくるのかが興味深くて「村長悪人論」の何人かと話をしてみた。そこで感じたのは、この違いは実は村長の捉え方の違いではなく村人たち(あるいは被災者たち、地元住民たち)の捉え方の違いかもしれないということだった。「村長悪人論」は、裏を返せば「村人善人論」になる。私の目には、集会でNGO職員の説明をさえぎって書類を引きちぎって退場した村人たちの主張はまったく筋が通っていないと写るのだけれど、でも村人たちがあれだけ怒っているのだからきっとその原因は別のところにあるはずで、村人たちがその原因を村長のネコババだといっているのだからおそらく村長はシロではないだろう、という考え方もあるようだ。その理屈が受け入れられるかは別として、まずそういうところに目がいく人たちがいるということがわかってとても新鮮だった。
 
「象の間で戯れる」
「象の間で戯れる」というのは、東南アジアに古くから伝わる言い回しをもじった表現だ。大きなものどうし、強いものどうしが争うと、被害を受けるのはその足元で踏み潰される「小さきもの」だというのがもとの言い回しの意味だ。ただしこの映画では、小さきものは大きなものにただ翻弄されて踏み潰されているのではなく、小さきものなりの戦略を持って対応しようとしている積極的な姿が描かれており、まさに「戯れる」という表現がぴったりくる。その意味でも、「象の間で戯れる」というタイトルはこの映画をよく表わしていると思う。
(この記事は「malam−マレーシア映画」の2007年10月19日付けの記事からこの場に引っ越したものです。)