アチェの津波博物館

津波博物館はバンダアチェの大モスクの隣の公園脇にある。外観は船を模しているという説もあるけれど、皮をむいたパイナップルだという人が多い。でも私は秘かに科学特捜隊の基地だと思っている。
津波が発生したとき避難所になることも想定しているらしく、高床式の造りで、1階部分は池があるだけ。その上に2階から4階ぐらいまで展示室がある。建物ができただけで、展示室にはまだ何も入ってない。展示室を含めた正式なオープンは当分先になるだろうけれど、ユドヨノ大統領が除幕式を行って一般市民も建物に入れるようになったので入れてもらった。


建物しかできていないけれど、建物がとても興味深い。言葉では十分に説明できないので実際に行って感じてもらうしかないが、その一端を紹介したい。


博物館の入口から入ると、右手に滝への入口がある。緩やかに地下に向かう細い通路がまっすぐ伸びている。両側の壁は数メートルの高さで、壁伝いに水が上から流れ落ちている。ひんやりした薄暗い道を降りていくと、地下の部屋に着く。
いずれ展示物を置くのかもしれないけれど、今はまだ何もなく、暗いだけの空間になっている。暗くてどのくらいの広がりがあるのかわかりにくい。ところどころ明かりが入っているので見上げてみると、天井に直径数十センチの丸い穴がいくつか空いていて、そこから光が入ってくる。穴はガラス張りになっていて、その上に水が見える。1階部分の池の底がガラス張りになっていて、それを下から見ているのだとわかる。
水の下で何もない暗い場所にいると、津波にのみこまれた人たちはこんな様子だったのかという思いがする。実際には瓦礫まじりの黒い水に巻き込まれて苦しかったかもしれないけれど、この空間を整えることによって、津波にのみこまれた人たちが安らかであったことを祈っている。
地下の部屋を奥に進むと、部屋を出たところに真っ暗な小さな円形の部屋がある。津波で流された瓦礫が部屋の隅に置かれていた。この部屋は煙突のような造りで、見上げるとはるか彼方に天井が明るくなっており、アラビア文字アッラーと書かれている。津波にのみこまれた人たちの魂はここからまっすぐ神のもとに召されたのだと納得できる。あとに瓦礫だけ残っているのもそのためだろう。
魂と別れた自分たちは、円形の小部屋を出て、薄暗い螺旋状の通路を壁伝いに上っていくと1階に出る。私たちは天に召されずに地上に残されたのだ。
残された者としてどう生きていくかが問われるという思いを噛みしめながら、1階部分の池の上を渡した橋を歩いて2階の展示室の入り口に着く。続く展示室では、津波でどんな被害を受け、さまざまな人たちの助けを借りながらこれまで自分たちが復興再建してきた様子を振り返りながら、残された者としての思いを新たにする(かどうかは展示室の中身がないのでわからないが、きっとそうなるのだろう)。
滝の入口から地下の部屋と螺旋状の通路を通って地上に出る順路は、日本人にわかりやすく名前をつけるなら津波の胎内廻りだ。津波にのみこまれた人たちの様子を追体験しながら、彼らの魂を送るとともに、彼らは苦しんでいたのではなく安らかだったのだと自分たちに言い聞かせる場所にもなっている。


津波博物館からは、隣にあるアチェ戦争の戦死者の墓所がよく見える。墓碑がたくさん並ぶ墓所を眺めながら、津波犠牲者たちの碑は誰が建てるのか、国なのか民族なのか国際社会なのかなどと考えていた。