小説「The Gift of Rain」

しばらく前に出た研究会で聞いた話。植民地支配や占領において、支配・占領する側を男性、される側を女性とする見方はよくあるけれど、それを男どうしとして見るとどうなるかという話。以下、話題に上った映画や小説は実際に観たり読んだりしないで話を聞いただけで書いているので細部で間違っているかもしれない。


これまでは植民地支配や占領は男と女の関係と重ねて見られてきた。マラヤを占領した日本軍の例でいえば、日本軍は現地女性を強姦したり、現地住民から食糧を取り上げたりする存在として描かれてきた。夫が妻に性生活と炊事の無償奉仕を求めるのと重ねられている。地元住民のなかには勇敢に侵略者と戦おうとした人もいるが、映画「Leftenan Adnan」のように最後には命を失うことになる。映画「Embun」では日本占領期の地元女性の働きが描かれているが、「女らしからぬ存在」として描かれることになる。


これらのマレー語映画に対して、英語で書かれた小説では日本とマラヤの関係を違う側面から見ているものがある。
Tan Twan Engの「The Gift of Rain」(2007)では、マラヤを占領してペナンに駐留した日本軍と地元住民の関係が描かれている。そこでは、40代後半の成熟した男であるエンドウが16歳の少年フィリップと男どうしの関係を深めている。
2人はお互いに惹かれて体の関係を伴う愛情を深めていくが、戦争のため、エンドウはフィリップからペナンの情報を収集することになり、フィリップもエンドウから得た日本軍の動きをイギリス側に伝えていた。お互いに相手を裏切っていたわけだ。
他方で、フィリップはエンドウに合気道や禅を教わり、上達するにつれて精神力が高まり、自分たちが置かれた運命を知ることができるようになる。それによれば、エンドウとフィリップは17世紀に侍と衆道として出会って結ばれていたが、将軍との関係においてお互いに裏切りあい、別れていた。ただし、生まれ変わってもまた会えると信じており、その後も何度も生まれかわり、そのたびに出会って運命の中で裏切りあっており、同じことが日本軍政中のペナンで繰り返されたのだった。だから、今回もお互いに裏切りあい、別れなければならない。互いの愛情は変わらず、将来また同じように出会うことを承知した上で別れることになる。


衆道になれるのは16歳をピークとする数年のあいだでしかない。せいぜい3、4年のことで、それを過ぎたら大人の男になってしまうために関係の対象ではなくなる。研究発表では、これを日本とマラヤの関係に重ねていた。マラヤの日本軍政は3年8か月。40代後半の成熟した男であるエンドウが16歳のフィリップに合気道や禅を教えたように、独立国家としてロシアを破ったこともある日本は独立前のマラヤで軍事教練や日本の精神を教えようとした。でもそれは長く続く関係ではない。3年もすればマラヤは独り立ちできるようになる。
こんな話で盛り上がっていたら、しばらく前にテレビで「警官の血」というドラマがあったという話が出てきた。そこでは第二次大戦中のフィリピンを舞台に日本の軍人と現地の少年が体の関係を結び、それによって情報を収集しようとしていたというシーンがあったのだとか。これまであまり注意していなかったけれど、男どうしで体の関係を通じて情報を収集するという話は各地にあったのかもしれない。