ジャカルタのチャイナタウン

アチェ津波博物館の序幕式などがあってちょっとだけインドネシアへ。
大統領が来たためにジャカルタ−バンダアチェのフライトはキャンセルされるしバンダアチェ市内のホテルは予約がすべて取り消しにされるし国際会議は日程が変更されるしで局所的にかなり混乱していたけれど、津波博物館や「世界の国々にありがとう」公園の除幕式は無事に執り行われた。津波博物館はおもしろかったので近いうちにまとめて紹介したい。


今回は町に出る時間がほとんどなかったので、ジャカルタの空港で本屋をまわっただけ。
手に入れたのはChinaTownの2009年2月号。いろいろ気になる記事があった。


雑誌の華語名が創刊号の「中国城」から第2号以降には「唐人城」に変わっていたという話は1年前に書いておいたけれど、久しぶりに手にしたら「唐人街」に変わっていたのに気づいた。閉ざされた城から開かれた街に変わったという印象を受ける。調べてみたら2008年12月にはすでに唐人街になっていたようだ。
英語のキャッチフレーズも、気づいたらIndonesia Chinese Community Magazineになっていた。2008年12月までは「Jakarta Chinese Community Magazine」だったけれど、「2009年1月号からナショナルな雑誌になる」と表明していたのでそれが反映されたということだろう。


インドネシアの唐人街も選挙シーズンのようで、選挙に関する記事が目立つ。特集のトップは「2009年の選挙で華人系の候補者が増えている」という記事。それに続いて華人系の候補者が数人紹介されているんだけれど、どの人にも華語名がわざわざ添えられている。
1940年生まれのEddy Sadeliさんが李祥勝さんだというのはまあわかるけれど、1972年生まれのDaniel Johanくんがこれまで自分を漲育浩だと認識していたかはあやしいものだし、イスラム教徒の格好をしている1949年生まれのHardy Senjayaさんが沈文翰という名前を日常的にどれだけ必要としているかもあやしい気がする。
インドネシアでは長いあいだ華語名の使用が禁じられていたため、なかには華語名を失っている人も多いと聞く。だから隠されていたものが日の目を見たという側面もあるのだろうけれど、でも失われていたものをどこかに根拠を見つけて作り出している人もいるんじゃないかと思ったりする。
さらに「華人系候補は当選したら汚い政治に手を染めないように」と呼びかける記事もある。血統上は華人でも華人性と離れて生きていきたいという人もいるんじゃないかと思うけれど、非華人からも華人からも「華人らしさ」が求められ、なかなかそうはいかないのかもしれない。名前を漢字で書くだけならまだいいけれど、「華人なら華語を話せ」という圧力が高まったら大変だろうなと思う。
念のために書いておくと、華人名が添えられているのは華人系候補者の紹介だけでなく、同じ号の別の記事で企業家たちを紹介しているページでも華人名が添えられている。これはこの雑誌でしばらく前からされていたこと。政治家もこれまでそうだったかははっきりした記憶がない。


ちょっと驚いたのが、「Grand Indonesia Gelar Pameran China Peranakan」(グランド・インドネシアでプラナカン華人の展覧会を開催)という記事。タイトルと本文はインドネシア語だけれど、華語で「華僑在Grand Indonesia開展覧会」というタイトルが添えられている(原文は簡体字)。華僑って言うのかと驚いた。
私はマレーシアやシンガポールについて一般の読者向けに紹介文を書く機会をいただくことがあり、そのたびに「マレーシアやシンガポールの中国系住民を「華僑」と呼ぶと彼らをその土地での間借人という扱いをしていることになるので「華僑」とは呼ばないように、彼らの自称である「華人」と呼ぶように」という注意書きを限られた字数のなかでできるだけ入れるように心がけているんだけれど、インドネシアでは自分たちで華僑と名乗っているのを見て拍子抜けした思いがした。
この雑誌を出しているジャカルタでは華語がかなり失われているので華僑だろうが華人だろうが気にならない(華語を失っていない人はお年を召した方々で華僑であることに誇りを持っている)ということなのかと想像してみる。
ついでに書いておくと、この号のほかの記事にはインドネシア華人をNaga-naga Pribumi(プリブミの龍たち)と書き、華語で「土生的”龍之伝人”」と添えているものもある。


これに対して、華人(Tionghoa)はインドネシア社会の切り離せない一員であり、keturunan Tionghoaではなくsuku Tionghoaと呼ぶべきとの投稿もある。
「suku」は「部分」という意味だけれど、インドネシア国民の一部分という意味で認識されるため、ジャワやアチェやバリなどのインドネシアの各民族が「suku」ということになる。それに対して「keturunan」は「血統」「子孫」という意味で、言葉自体に悪い意味はないはずだけれど、keturunanではなくsukuにしろというのはこれまでその言葉が使われてきた状況が嫌われているということだろうか。
さらに気になるのは、その裏表でインドネシア国民意識が強く出されていること。自分たちsuku Tionghoaはインドネシアの他のsukuたちと同じようにインドネシア文化を自分たちのものと思うと主張する記事で、「マレーシアがバティックを自分たちの文化だと主張したのを聞いて我々は激怒した」とか書いているのを見ると残念に思う。


もう1つひっかかったのは、年号の表記が「Cia Gwee 2560」となっていること。去年はCia Gweeという言い方を見た覚えがない。農暦の表記は「Imlek 2559」だったような気がする。ちょっと調べてみると、農暦の1月、2月、3月・・・をCia Gwee、Jie Gwee、Sha Gweeというらしい。意味としては農暦一月ということだろうけれど、Cia Gweeと呼ばれる節句もあるみたいだし、どこからこれが出てきたのかなどよくわからないことが多い。


最後に1つ。ジャカルタのグロドック地区に華語書店がオープンしたらしい。その名もずばりMandarin Book Store。売られているのはすべて新刊書だというから、華語書籍といえば古い書物という認識があるということだろう。番地はJalan Pancoran 43, Glodok, Jakarta。次にジャカルタに行く機会があったら行ってみよう。