マレーシア映画「Bukak Api」

クアラルンプールのチョーキットを舞台に、トランスセクシュアルセックスワーカーたちを描いた映画。もともとHIV/AIDSの啓蒙活動として作られた映画で、コミカルな場面も多少はあるものの、基本的に問題提起の映画。インドネシアの「Perempuan punya Cerita」やシンガポールの「Pleasure Factory」とあわせて観たい映画。
bukakは標準マレー語綴りではbukaなので、マレー語の映画レビューなどでは「buka api」と書いているものもある。文字通り「open fire」や「開火」という意味で、この映画ではセックスワーカーが客相手に一戦交えること。


2000年に公開され、この映画を観たヤスミン・アフマドがマレーシアでこんな映画を作ってもいいのかと思い、それなら自分もとヤスミンを映画監督の道に進ませるきっかけになった映画という話もある。マレーシアでDVDなどの形で売られているのは見たことがないけれど、最近マレーシアから遊びに来たその筋の友人が、最近のマレーシアの映画を語るならとにかくこれから始めなきゃ、とおみやげに持ってきてくれた。


舞台はチョーキットの街角。現役を引退して裁縫で身を立てているスーのもとに集まる女性や元男性の面々。警察は来るし男はたかりに来るし、性感染症と隣り合わせだし信仰上の罪悪感はあるしと、チョーキットで生きていくのも楽じゃあない。トランスセクシュアルとして生きてきた先輩として、そして同じ町に住む友人として、スーがいろいろな相談にアドバイスを与える。もともと啓蒙映画なのでアドバイスの内容は穏やかなのだけれど、素直に聞かずに口げんかしたりして、ただの説教臭い映画にしない工夫がいろいろされている。
手術して女性の体にしたい、不要なものを切り取って胸も大きくしたい、手術費用が安いシンガポールなら手術できるお金は貯まったけれど手術は神の意志に反するだろうか、という相談には、手術代が安いと後で問題が起こることがある、まずはカウンセラーに相談しなさいとアドバイス
望まない妊娠をしてしまい、堕胎を考えるムルニには、自分たちはみんな同じ境遇で同じような暮らしだけれど、産める身と産めない身という違いがあって、それだけは自分たちにはどうにもできない、だから産める身でいることは神の恵みなので、授かったのなら産みなさい、とアドバイス
「結婚しよう、仕事を見つける、そして2人で田舎で暮らそう」と甘い言葉をかけながらも、結局は殴りつけて金を奪おうとする男。あんたと結婚するぐらいならずっとこのままの暮らしの方がいいと答える女。部屋に客の男を入れているところにやってきて、「よその男を家に入れるな」と怒る男。でもそれは女の部屋で、その男は金をたかりにきただけだったりする。
こんな話がいくつもつながっていく。


エピソードをつなげていくと、こんな話が浮かび上がってくる。
田舎では、男が身につける仕事と女が身につける仕事があって、大人になるまでにそれを身につける。そのどちらでもない高給取りへの道もあるけれど、そのためには高等教育が必要で、とても金がかかる。家族から大学に2人行かせることはとても無理。1人行かせるのもやっとのこと。
自分は「男の仕事」より「女の仕事」の方が性に合っていると思っても、男に生まれた以上、女の仕事を教えてくれる人はいない。そういう男が「女の仕事」を教えてもらう方法が、見かけや身のこなしを女のようにすること。そうすると裁縫や料理を教えてもらえる。田舎では職業選択の幅を広げることとつながっているという側面もあるようだ。
でも田舎だと、子どもたちには「オカマ」といじめられるし、大人たちにはもっとひどい扱いを受ける。しかたないので家を離れて地方都市に出て仕事を探す。でも、母親の死をきっかけに家に帰れなくなり、あるいは父親の死をきっかけに家族の生活を支えなければならなくなり、クアラルンプールに出て仕事を探す。
クアラルンプールには裁縫で生計を立てている先輩がいて、そこで裁縫を習って将来は自分の店を持ちたいと思ったりするけれど、それまでの生計を立てなければならず、できる仕事が限られているので体を売ったりすることになる。


映画の話からは逸れるけれど、チョーキット地区は、この映画に出てきたトランスセクシュアルの人たちのほか、インドネシアからの合法・非合法の滞在者などいろいろな「怖い人々」が集まっていると言われ、数年前まで地元の人たちも日が暮れた後は路地に入りたがらなかった。最近はアチェの分離主義勢力が潜伏しているという話も出ていた。
本当のところは、社会の主流から外れた人たちが都市の中に解放区のようなものを作ろうとして、よそ者を寄せ付けないために「怖い人がいる」という噂を利用したところがあったのだろうと思う。でも、その代償として、チョーキットのさまざまな住民に対して「チョーキットのオカマは怖い」「インドネシア人は怖い」「アチェ人は怖い」などの言い方がマレーシア社会で広まるのを許すことになったという面もある。
10年ほど前、ある旅行ガイドの執筆に関わって、チョーキットを紹介しようとしたら「危険なので」と編集部からストップがかかり、それをめぐって編集者とかなり厳しいやり取りになったことがあった。最近ではチョーキットは区画整理などして見通しがよくなり、部外者にとってはだいぶ歩きやすくなった。インドネシアの雑誌が売られていたりと、クアラルンプールの中でインドネシアに触れやすいところでもある。
昼のあいだでも観光客が訪れるようになって、インドネシア系などのチョーキットの多様な生き方がマレーシアの文化的多様性の1つとして観光の対象となることで、マレーシアの人たちも彼らのことを「怖いインドネシア人」ではなく「多様なマレーシア文化の1つ」として受け入れるようになればよいなと思う。
もちろん、チョーキットには世界のほかの町と同じようにいい人も悪い人もいて、無防備に歩いているとスリに遭ったり騙されたりするかもしれないので、歩くときに注意は必要。ほかの町と同じこと。