アチェ津波4周年(1) 「世界の国にありがとう」公園

ジョギングしながら感謝

バンダアチェの大モスクのそばに広場がある。独立記念日などの式典に使われる。4年前の津波のとき、地震で野外のスピーカーが倒れた映像が日本のテレビでも報道されたけれど、それがこの場所。津波当日は日曜日だったので、朝から市民が集まって体操をしていた。そこに津波が来て、バンダアチェの市長を含む多くの人が亡くなった場所でもある。


津波から4年目のアチェを訪れると、この広場をぐるっと1周するジョギングコースが整備されて、コースに沿って54の船型のモニュメントが置かれていた。1つ1つのモニュメントに、これまでアチェの復興を支援してくれた国が1つずつ、国名と国旗とその国の言葉で「ありがとう」を意味する言葉が書かれている。アチェの人々は、この公園でジョギングしながら、支援してくれた国々に感謝するという仕組みになっている。この公園には「世界の国にありがとう」公園という新しい名前が付けられていた。

興味深いのは、世界各地からの支援をアチェの人たちが国ごとに捉えていることだ。たとえば赤十字赤新月社のような組織もアチェでの緊急・復興支援にとても大きな役割を担ったけれど、「世界の国にありがとう」公園には赤十字赤新月というモニュメントはない。日本赤十字なら日本、トルコ赤新月社ならトルコというように、国別に感謝が表明されていることになる。

紛争のために外部世界との関係が閉ざされていたアチェでは、2004年12月の津波とそれへの支援を契機に外部からいろいろな勢力が訪れるようになった。アチェが再び世界に開かれたことを歓迎するなかで、トルコなどのイスラム諸国からの影響を受けて、アチェイスラム性を強め、インドネシアからの分離主義的傾向を強めるのではないかと懸念する声もあった。でも、中国赤十字社が作った復興住宅地を「ジャッキー・チェンの村」と呼んだり、トルコ赤新月社が作った復興住宅地を「トルコ村」と呼んだりしているように、アチェの人々は世界を国々の集まりとして捉えている。「世界の国にありがとう」公園のモニュメントは、まさにそのことを表している。アチェは今後イスラム性を意識して社会作りを進めていくだろうけれど、それは中東や中央アジアイスラム諸国との一体感を強めていくということではなく、自分たちの「国」の特徴としてのイスラム性ということになるのだろう。

日本のモニュメントで「平和」の「和」の字が1画抜けていたり、中華民国のモニュメントなのに簡体字で書かれていたりと少し妙なところもあるけれど、それも含めて観光の対象だと考えよう。
大規模な工事などの復興事業が来年4月で完了することを見込まれているアチェでは、目に見える支援事業の終わりを世界からの関心の終わりと重ねて受け止めかねない。その後も世界の人々が関心を向けていることを示すためにも、調査研究や報道関係、そして特に観光で、たくさんの人々がアチェを訪れることが復興の支えになる。
これまで日本で報告会やシンポジウムなどに出ると、「4年前のスマトラ沖地震津波インド洋大津波では何かしたいと思ったけれど、当時は募金ぐらいしかできなかったので気持ちのおさまりがつかない」という方に何人か出会った。そういう人たちには、今こそぜひアチェ津波被災地に観光旅行をお勧めしたい。


アチェ津波被災地観光と言えば、「世界の国にありがとう」公園の隣に大きな津波博物館が建設されている。建物自体はもう少しで完成して、展示物を入れて来年中にはオープンする予定らしい。

さらに、この公園から車で5分ぐらいの距離には、津波で陸に打ち上げられた巨大なアポン船(電力船)もある。まわりが記念公園として整備されていて、津波観光コースの1つになっている。