インド洋津波から12年のアチェ

数か月ぶりのアチェ訪問。前回の滞在は会議ばかりで街に出る時間があまりとれなかったけれど、今回は短い滞在ながらも郊外を含めて外に出かける時間が少し取れた。
2004年12月のインド洋津波から13年目を迎えようとしているバンダ・アチェでは、津波の被害と復興の経験を世界の人たちと共有することで将来の津波犠牲者を減らそうという動きと、12年以上前に起こった津波で犠牲になった人たちを弔い、親しい人を失った人たちの心の痛みが癒えるのを支えようとする動きと、アチェ内外のいろいろなものを柔軟に組み合わせて利用することで津波後の新しいアチェ社会を作ろうとする動きのそれぞれが見られた。


津波を記録して伝える
津波後に作られて一般の観光客向けに公開されているバンダ・アチェ市内の施設の津波博物館、電力船、ボートハウスなどのうち、電力船は公園化がさらに進んでいた。船の内部に入れるようになり、内部には津波関係の展示が置かれていた。津波博物館にも頑張ってもらいたいけれど、こちらの方がメインになりつつある感じ。
ボートハウスは相変わらず。しばらく前に来訪者に通し番号付きの参観証明書を発行していたけれど、バンダ・アチェの市長がかわって発行しなくなったとか。


津波の犠牲者を弔う
インド洋津波ではアチェ州だけで死者・行方不明者あわせて約14万3000人の犠牲が出たため、1人1人の身元を確認して個別に埋葬する余裕がなく、犠牲者の遺体は市内10か所の集団埋葬地に埋葬された。自分の近親者や友人・知人がどの埋葬地に埋葬されたかわからないけれど、きっと誰かが見つけてくれてどこかの集団埋葬地に埋葬されているはずだと思い、毎年12月26日に最寄りの集団埋葬地を訪れて祈りを捧げるという習慣ができてきた。
このように遺体なしで弔わなければならないという状況を受け入れた上で、それでもなんとかして近親者の遺体を見つけて個別に弔いたいと思っている人たちもいる。津波から10年以上が経った今でも、ときどき津波犠牲者の遺体が見つかったというニュースが報じられる。先月も、任務中に津波に襲われた警察機動隊員の遺体が12年ぶりに発見されて身元が判明したらしい。集団埋葬地の碑に彫られた埋葬者の数が修正されていた。


津波後のアチェ
バンダ・アチェ市内のアチェ州立博物館(津波博物館ではなくて歴史博物館の方)の前の歩道に、約300メートルにわたって黄色い視覚障害者誘導用ブロック点字ブロック)が置かれていた。これは日本を訪れたシアクアラ大学の学生の発案で導入されたもの。
Arthikaはアチェ内陸部ガヨの出身。父親の影響で小さい頃からメカが好きで、将来は日本でロボット開発の研究をしたいと思い、女の子なのにロボットが好きなんてとまわりに不思議がられていたという。
津波後の調査をしていた京大チームが仮設住宅で1組の被災者夫妻に出会い、聞き取りの過程でその夫妻の実家があるガヨを訪ねたとき、親戚の孫娘として紹介されたのがArthikaだった。
大学では土木工学を学ぶ道に進み、2015年には在デンパサール日本領事館のエッセイコンテストで優勝して日本への往復航空券を手にして東京や京都を訪れた。日本で見た歩道の点字ブロックアチェにも導入できないかと研究したところ、その研究が目に留まって試験的に導入されることになった。
そこですごいのが導入場所をどう決めたか。実際に使ってもらえるようにとまず盲学校周辺を選んだ。試験的な導入だし予算の制約もあるのですべての道に点字ブロックを作ることはできないし、アチェではまだ点字ブロックの意味が十分に知られていないからということで、まず点字ブロックの意味を知ってもらうために重要な場所と考えて、州知事公邸に近くて州内外からの訪問者も多いアチェ州立博物館の前を選んだという。未確認だけど点字ブロックの設置はアチェの州法にも盛り込まれたそうで、Arthikaはこれから人々の認知が高まっていけばと話している。
彼女は今年シアクアラ大学を卒業して、日本の大学で勉強が続けられることを希望して日本語の勉強を続けている。
子どものころにロボットの漫画やアニメを見て日本に興味をもって、日本のアニメやドラマや映画で日本語を勉強して、機会を捉えて日本を訪れて、そうやって自分のキャリアに繋げていくとともに出身地の暮らしの改善を目指す思いを両立させるということが、夢物語ではなく一歩ずつ実現していく様子をこの数年来見せてもらっている。


話はかわるけれど、シアクアラ大学と日本との関連でもう1つ。
バンダ・アチェ市内の川向うにあるシアクアラ大学構内のたこ焼き屋さん「はな」。はじめたこ焼き屋と聞いたときには移動式の屋台で焼いているのかなぐらいに思っていたけれど、行ってみてびっくり。広い敷地のあちこちの木陰にテーブルと椅子が置いてあって、お客は思い思いのテーブルについてたこ焼きを食べたりコーヒーを飲んだりしながらくつろいでいる。庭が広いので一度に数十人は入れる規模で、それでも訪れた日は満席だった。その9割ぐらいが女性客。男性客は最近増えてきた方だとか。
木陰が多いので隣のテーブルの様子が見えるようで見えない雰囲気や、従業員を女性だけにしていることもあって、女子学生たちの隠れ家的な場所になっている様子。制服を着た女性たちがきびきび仕事をしており、たこ焼きをひっくり返す姿やお好み焼きにマヨネーズを振る姿が堂に入っている。


ついでに。
スマトラ沖地震津波インド洋津波)から10年間の様子を日本語で読むならこの本を。
被災地に寄り添う社会調査
同じ内容をさらに少し詳しく読むにはこの本も。
災害復興で内戦を乗り越える スマトラ島沖地震・津波とアチェ紛争