フットサルとアチェ復興

setiabudi2009-08-19

バンダアチェで日本を含む各国の代表が集まった復興支援の監査会議が開かれ、その結果を受けてアチェの復興支援の資金の使われ方がインドネシア国内でもちょっとした話題になっている。もともといろいろな組織や団体からいろいろな形でアチェに復興支援が入ってきたため、それを一元的に監査するのは難しい話だ。「アチェの地方政府は大量に流れ込んだ復興資金を銀行に預けてその利子で食べているのでけしからん、アチェイスラム法を施行しているはずなのにイスラム法で禁じている利子で食っているとはなにごとだ」という批判も出ていたりする。もっとも、「だから一般の商業銀行ではなく我がイスラム金融に預けるべきだ」と話が繋がっていったりするので、出てきた批判を鵜呑みにするわけにはいかないだろう。
いくら入ってきて何にいくら使われたかという監査はもちろん必要だ。でも、それだけに目を向けてしまうと、せっかくの支援がドナーだけを向いた支援になってしまう。それ以外の視点を入れた人道支援の評価はどうすればできるのか。そんなことを考えながらバンダアチェの町を歩いていて、市内のブラウェ地区にフットサルのコートがいくつかできているのを見つけた。
2006年頃からバンダアチェにフットサルのチームが作られるようになり、2009年に入ってスポンサーがついてフットサル専用のコートが作られたそうだ。コートが完成したので、お披露目の意味を兼ねて、銀行などのスポンサーを見つけてトーナメント大会を開いているところだった。
フットサルのコートと言っても壁のない倉庫みたいな作りで、どうしてこんなものを市内にいくつも建てるのかと思ったけれど、話を聞いてみるといろいろな思惑が絡まってできた話らしい。津波からの復興も大事だけれど、アチェで重要なのは紛争からの復興、というより紛争状態に戻さないことだ。スポーツをすれば喧嘩をしなくなると言うと安易に聞こえるかもしれないが、紛争中から、若者たちにはチーム対抗のスポーツを通じて競技場内でルールにのっとって競い合わせた方がいいという思いを抱いていた人たちがいたらしい。チーム対抗のスポーツと言えば花形はサッカーだが、サッカーだと広い場所が必要になるし競技の専門性が高くなるしで、一般の人が仕事帰りにちょっとひと汗かこうとするには敷居が高い。フットサルだと敷居は低い。実際、バンダアチェではフットサルのチームがすでに20チーム以上できているし、女子選手もいるらしい。
それに、フットサル・コートは倉庫のような形をしていると思ったら、本当に非常時に倉庫になるようにという理由からそうしているらしい。ブラウェ地区は海岸から離れているため、2004年12月の津波では被害を受けず、支援活動の拠点が置かれた地区だった。この地区にフットサル・コートを複数作っておけば、非常時にはここに食糧などを集めて支援活動の拠点にすることができるという計算だ。


ここで話は大きく跳ぶけれど、これまでアチェの人たちは、外部社会から大量に押し寄せた復興事業の支援者たちの必要にあわせる形で復興事業に参加してきた。事業の期限を決められ、資金を使える費目が決められ、写真に撮りやすい成果を上げることが期待されるなかで、それに対していろいろな形で小さな抵抗はしたものの、長い目で見れば外部社会の支援者たちの都合にかなりあわせる形で復興事業に参加してきた。
いま、津波から4年半が経ち、ほとんどの支援団体が撤退して、復興支援事業の監査が行われるころになって見られるのは、アチェの人たちが自分たちの好きなように復興再建に取り組んでいる姿だ。フットサルのコートを作ってトーナメントをやってみるのもそうだし、アチェについての本を出版するのもそう。支援団体に復興住宅を供与された人たちも、はじめのうちは壁のペンキの色など外見についての注文を守っていたけれど、最近ではそれぞれの家に自分たちの思い思いの改造を施し始めている。
アチェの被災者は自分たちでは働かない、自分の家を作るのに金を払って人を雇って作らせている」というのは被災から1、2年めぐらいに人道支援団体の人たちからよく聞かされた台詞だが、今アチェに来れば、支援団体からの縛りがなくなった状態でアチェの人たちが自分たちの家をよくしようと自分たちで働いている姿をあちこちで見ることができる。こういう姿を人道支援業界の人たちに受け止めてもらえるように伝えるにはどういう語り方をすればいいのだろうか。