ジョグジャの防災情報拠点(続き)

倒壊した家の跡

先日の続き。
ジョグジャカルタで京大東南アジア研究者による防災情報拠点がある村を歩いていると、地震で倒壊したままの家が何軒かあった。1年半も経つのに崩れたまま放置されている。被災直後に政府の被害調査があり、所有者がその家に住んでいないと再建費用の支給対象にならなかったためらしい。
間借りしていた人たちには住宅再建の権利が認められなかったので村を出て行かざるをえなかった。所有権を持っているけれどジャカルタなど別の土地で暮らしている人の家は再建費用の支給対象外とされた。所有者である両親が地震で亡くなり、家の所有権を引き継いだ子どもが親戚の家に引き取られた場合にも再建費用の支給対象からはずされた。さらには、海外インドネシア人労働者(TKI)として外国で一時的に働いている人の家も再建対象外とされた。そのため、倒壊したままの形で残っている家がある。自費で再建するしかない所有者には土地を売りに出している人もいるという。


話は飛ぶけれど、2004年のアチェ津波被災地では、外国からの支援団体が大量に入ったこともあり、被災前の世帯数をもとに算出した戸数の復興住宅を建てることにして、所有権を持っている人に引き渡した。村によっては住民の9割が亡くなっているため、所有権を持つ人はジャカルタなどアチェの外に住んでいる親戚だったりまだ小さな子どもだったりしたけれど、それでも所有権を持っている人たちを探して復興住宅を与えて撤退していった。死者・行方不明者あわせて16万人以上なのに、被災前の世帯数をもとに計算した戸数の復興住宅を建てたため、アチェの被災地には家が増えたが、空き家が多くなった。
その一方で、津波後に他の地域からアチェにやってきた人たちや、もともと間借りしていて住宅再建の対象にならなかった人たちが現在住むところを必要としている。その結果、当然のように、住宅をもらった所有権者たちが復興住宅を間貸しし、あるいは売りに出した。
これはどう考えても状況に適用して素直に行動しているだけだと思うのだけれど、それを見た外国の支援者や研究者たちは、「建ててもらった復興住宅を間貸ししたり転売したりして金を稼いでいるのでアチェ人はけしからん」と言う。確かにけしからんと言えばけしからんけれど、責められるべきなのはアチェ人ではなくて、そういう状況を作り出した支援者たちのはずだ。
大規模自然災害があって住宅の再建を行うとき、誰を対象にするのか(土地を持っている人か実際に住んでいる人かなど)は改めてきちんと考える必要がある。


ついでに言えば、日本の研究者は「コミュニティ」にこだわりすぎる。被災前からアチェには相互扶助に基づいた理想的なコミュニティがあったはずで、災害でコミュニティが一時的に壊れたけれど、でもアジアではコミュニティが強いので復興過程がはやく進んだ、というストーリーがあるらしい。そのストーリーのために都合のよいデータを切り貼りして研究発表しているのではないかという印象を受けるほど。そこまでしてコミュニティ概念を護持したいのか。
インドネシアの災害調査ではよくアチェとジャワ(より詳しくはバンダアチェジョグジャカルタ)が比較される。「コミュニティが大事」という結論があらかじめ決まっているので、アチェをどう見るかふらふらしているのが興味深い。
アチェで復興住宅を貸し出したり売りに出したりしているのを見て「コミュニティが失われているので嘆かわしい」という人がいる。
そうかと思えば、アチェで市役所や郡・村役所が十分に機能していないのに復興が進んだのは「コミュニティがしっかりしているからだ、すばらしい」という人がいる。
(確かにアチェ津波でははじめのうち地方行政が十分に機能しなかった。でもそれを「開発途上国だから」「汚職や腐敗があるから」と「紛争地だから」と片付けるのはいかがなものか。アチェ津波では地方政府も壊滅してしまい、公務員はまず自分自身と家族親戚や近隣のことがらを優先するようにという指示が出て、職場ごとに生存者確認がされたのが被災から1ヵ月半後、死亡で欠けたポストに別の人を任命したのが被災から3ヵ月後だった。想像以上の被害の規模だったことをよくよく考えた方がいい。)
さらにジャワと比べて、ジャワでは被災者たちが協力して作業しており、「コミュニティがしっかりしているのですばらしい」、それに比べてアチェでは被災者が人を雇って住宅再建をしていたので「コミュニティが失われているので嘆かわしい」という人がいる。
最近では、ジャワやアチェは神戸や中越と比べて復興の度合いが早い、これは日本で失われつつあるコミュニティが東南アジアにはまだ残っているからだ、というストーリーまであるらしい。
ジャワで出会った日本人学生と話をする機会があった。話を聞いてみると、指導教員から「コミュニティの強さが復興のはやさの鍵だった」というストーリーで論文を書くように言われていて、そのために1年かけて必要なデータを探すためにフィールド調査をしているんだとか。それはインドネシア社会を見るのではなくて日本社会について思うところを発信するためにインドネシアの事例を利用しているだけではないのかという思いが消えない。


そうやってコミュニティが大事だと唱える背景には、先祖代々が受け継いだ土地を守っていくべきであり、そうしてきた人々が地縁で結びついているのがコミュニティであるという発想があるようだ。
だけど、東南アジアの島嶼部の住民の多くはもともと舟に住んでいたり杭上家屋に住んでいたりする海洋民で、生活環境が悪くなると別の土地に移るのが常態だった。そんなところに東アジアの発想を持ってきて「先祖代々の土地が・・・」と言っても通用しない。
稲作地のジャワだったらそういうことはあるかもしれないけれど、アチェは何かよくないことがあったら土地を離れるのは常識と思っていた。ところがところが、ジャワでも地震後に土地を手放そうとする人がいると知って、まあそりゃそういうこともあるだろうと思った。それでもまだ「先祖代々からの土地を手放すとは嘆かわしい」というのだろうか。