ワスレナグサの地を訪ねて

setiabudi2009-09-16

縁あって石川県を訪れる機会があった。石川県と言えば、マレーシアのヤスミン・アフマド監督が日本・マレーシア合作映画「ワスレナグサ」のロケ地を探すため、今年4月にシャリファ・アミニとともに訪問したと報じられた場所だ。ヤスミン監督は7月末に亡くなったが、そのまま進めば今頃は石川県で撮影が行われていたかもしれない。
ヤスミン監督(世界的な著名人として評価が定まったと考えて、以後は敬称抜きでヤスミンと呼ぶことにする)は、石川県でいったいどんな風景を見て、どんな映画を撮ろうとしていたのか。1つ1つが別の作品でありながら全体で1つの作品世界を作っているヤスミンのメッセージをより深く受け止めるためにも、ヤスミンがどんな映像を作ろうとしていたのかを自分なりにイメージしてみたいと思い、ヤスミンの訪問先を訪ねてみることにした。
ヤスミンが生きていれば撮ったであろう映像の代替物を作り出すことが目的なのではない。映画に限らず、表現されたものは、作り手の思惑を超えてそれぞれの受け手が自分の状況に合わせて受け止めるものだから、ヤスミンが訪れた場所を訪れた上で、思い切っていろいろな方向に想像をたくましくしてもかまわないだろう。
そうしたいと思うのは、ヤスミンが映画を通じて世界に何を訴えようとしていたのかを知りたいためであるし、ヤスミンから私たちに託された最後のメッセージを受け止めることにもつながると思うためでもある。ヤスミンが私たちに届けようとしてくれた映画について、私たちにはタイトルぐらいしか知らされていないけれど、それが奇しくも「ワスレナグサ」つまり「Forget-Me-Not」であるということは、ヤスミンが「私のことを忘れないで」と呼びかけている気がしてならない。忘れないための方法は人それぞれだろうが、私にとってはヤスミンのメッセージを深読みしたものを書きとめることが忘れないことだ。

北國新聞社尾山神社

さて、石川県に足を運んだところで、ヤスミンの足跡をどうやって探せばいいのか。何軒かを訪れた後、ヤスミンの石川訪問を最も大きく取り上げている地元の北國新聞社を訪れると、ヤスミンに同行して県内をまわった記者の方がいて、当時の訪問先や「ワスレナグサ」のシーンにつながるエピソードなどを教えてくださった。
話を終えてさっそく訪問先を訪ねようと北國新聞社を出ると、道路の向かいに変わった形の建物が見えた。尾山神社の神門だそうだ。和漢洋の折衷様式ということで、遠くからぱっと見て目立つほど特徴的な形になっている。東洋と西洋など異なる文明・文化を結びつけた作品を撮り続けてきたヤスミンの足跡を探そうとした矢先に和漢洋折衷様式に出会うとは、何とも奇妙な縁を感じた。ヤスミンもこの建物に目をとめたのだろうか。

ヴィテン乗馬倶楽部

どうやら「ワスレナグサ」では牧場が舞台らしく、ヤスミン一行は金沢市内で馬に関係する場所をいくつか訪問している。馬事公苑とヴィテン乗馬倶楽部クレイン金沢。馬事公苑は担当の方が不在だったが、ヴィテン乗馬倶楽部ではマレーシアの映画監督が訪ねてきたことを覚えている方がいて、どのあたりを見ていたかなどの話を伺った。広くて生命あふれる牧場が舞台だというので、ヴィテン乗馬倶楽部の駐車場の前の広場などをうまく使おうとしていたのだろうか、あるいはすぐそばの砂浜を馬で走らせようとしていたのだろうか、厩舎のシーンは馬事公苑の方がいいかな、などとあれこれ想像してみる。

千里浜なぎさドライブウェイ

そこから海岸に沿って北上すると千里浜なぎさドライブウェイに出る。ここは砂浜を車が走れる珍しい場所だ。海水浴シーズンには波打ち際に車を停めて海に入る人たちでにぎわうそうだが、9月なので海に入っている人は多くなく、そのかわり車が何台も砂浜を走っていた。大型の観光バスまで砂浜を走っている。窓を開けて波打ち際を車で走っていると、顔に受ける潮風がとても気持ちいい。「ワスレナグサ」では、日本に着いたイノム(シャリファ・アマニ)が出迎えに来た青年の車に乗って夜の海岸を車で走るシーンがあるらしいが、ヤスミンもきっとこの場所を気に入ったに違いない。

卯辰山工芸工房

金沢の市街に戻り、卯辰山の工芸工房へ。4月に訪ねてきたマレーシアの映画監督は、奥の工房を中心に見学していたという。さっそく見せていただくと、廊下の両側に全面窓になって中が見えるようになった部屋が並んでいて、それぞれの部屋で工芸の作業が行われているのを見ることができる。工芸の工房というと、年季の入った道具が散らばる薄暗い部屋で気の難しそうな師匠の仕事を弟子が見て技を盗もうとしているところを想像してしまうが、ここでは学校の職員室や一般の会社のようにそれぞれデスクが与えられているようで、デスクでそれぞれ作業しているところが見られる。見学客に邪魔されずに作業に集中したいためか、両耳にイヤホンをはめたまま作業している人もいたりして、今風であるところに新鮮さを感じた。ヤスミンは石川県のことを「伝統と近代がうまく混ざり合っている土地」だと言ったそうだが、この工芸工房の様子もそのように移っただろうか。

能作

夕方、金沢市役所隣の漆塗りの専門店である能作へ。今年4月にマレーシアの映画監督が来たときの様子を伺いたいとお願いすると、当時対応した社長はあいにく不在だったが、ヤスミン一行が特に念入りに見ていたという3階の茶道具のフロアに案内していただいた。「ワスレナグサ」では、イノムのお祖母さんがかつての恋人の思い出の品として大事にしていた漆の宝箱が重要な働きをするそうなので、その小箱を選びにきたのだろう。香合などを見ながら、あれだろうかこれだろうかといろいろと想像を膨らませる。ふと気付くと、同じフロアの一角に干菓子盆が置かれていて、お盆に書かれた「勿忘」「在草」「木間」「人看」の文字から「勿忘草」(わすれなぐさ)という3文字が浮かび上がって見えてくる。なんという巡りあわせか。このお盆がもともとここにあったものなのか、ヤスミン一行が来たのを契機に置かれたのかは社長が不在なのでわからなかったけれど、いずれにしろここに「勿忘草」のお盆が置かれているのは奇妙なご縁としか言いようがない。


教えていただいた「ワスレナグサ」の関係者の方々に連絡を取ったところ、後日お話をうかがえることになった。その前に、ヤスミンが石川県に何を見つけたのか、何を見つけようとしたのかを探しながら能登をまわることにした。ヤスミンが石川県を撮影場所に選んだ理由の1つに、震災からの復興の様子が描かれた映画「能登の花ヨメ」を観て風景が気に入ったからという話を伺ったためだ。これまた妙なところで、私のもう1つの関心である災害対応と結びついてきた。