「能登の花ヨメ」(1) 段駄羅と御陣乗太鼓

setiabudi2009-09-17

能登地震の被災地を舞台にした映画「能登の花ヨメ」の風景を訪ねて能登半島へ。まずは輪島市
輪島といえば、まずは「能登の花ヨメ」にも登場した朝市。朝早くから通りに露店が並ぶ。
朝市が立つ通りで露店にばかり気をとられて見逃してはならないのが、電柱に貼りつけられている段駄羅の作品だ。

段駄羅

段駄羅とは輪島に特有の川柳で、五・七・五の七の部分を同音異義にして前半の五・七と後半の七・五にそれぞれ意味を持たせたもの。たとえば
 白寿すぎ 余命いつまで/嫁いい妻で 姑楽しく
がそう。「ヨメイイツマデ」の部分が同音異義になっている。
もう1つ。
 観光地 ガイド気がきく/買い時か聞く 株相場
これは「カイトキカキク」が同音異義になっている。濁音と清音は交換可能らしい。
この2つはどちらも朝市の通りの電柱に貼り付けられていたものだが、朝市のほかにも輪島の町で段駄羅を見つけることができる。
http://www.city.wajima.ishikawa.jp/kankou/danndaratowa.pdf
http://www.city.wajima.ishikawa.jp/kankou/danndaramap.pdf
これがとにかくおもしろくて、電柱から電柱へと段駄羅を求めて輪島の町を歩きまわってしまった。
地震に関するものもいくつか見つけた。
 ダラリ帯 京都西陣/郷土に地震 心配だ
 能登地震 予期しなかった/良き品買った 朝市で


段駄羅は、ただの言葉遊びのように見えて、今の自分たちを振り返り、将来への希望を詠んでいたりする。
私が輪島の電柱で見つけた中でのベストはこれ。
 朝市に 真鯛、石鯛/またいい時代 きっとくる
真鯛、石鯛」というのは海の幸が豊かということでもあるけれど、それは海を通じていろいろなものがこの地にやってくるということでもある。新幹線と高速道路が交通・輸送の中心になった今では能登は中央から遠く離れた土地になってしまっているけれど、かつて海を通じて中国や韓国・朝鮮との交流が盛んだったころはもっともっと活気づいた土地だったに違いない。それは過ぎ去ってもう戻ってこない過去なのではなく、これから日本と近隣諸国との関係が密接になっていくことでこの地がかつて以上の活気を取り戻し、またいい時代が来ることも決して夢物語ではないだろう。そうであるならば、「またいい時代 きっとくる」というのは、能登だけの、ましてや輪島だけの「いい時代」なのではなく、日本全体や近隣の地域を含めた「いい時代」が来るということだ。段駄羅では前の五七と後ろの七五の意味が繋がっていなくてもいいそうだが、この句は前後の意味が繋がっていると見ることで、将来への希望が伝わってくる句になっている。
ヤスミンは4月に石川を訪れたときに輪島までは来ていないが、民族や宗教の違いを超えて人々が繋がる物語を作り続けたヤスミンのことが頭にあるからか、輪島の町を歩いていても海を越えた人々のつながりに目が向いてくる。
朝市と言えば、朝市の通りには永井豪記念館もあり、こちらも輪島の隠れた人気スポットになっている。入館料は500円で、部屋ごとにフィギュアや原画が展示されているほか、パソコンに入った全作品を読むこともできる。

「ふらっと訪夢」で御陣乗太鼓

夜は道の駅「ふらっと訪夢」へ。旧のと鉄道輪島駅の駅舎を改築したもので、能登の文化や観光の発信拠点になっている。建物の裏手には旧輪島駅のプラットフォームが保存されている。「プラットフォーム」を「ふらっと訪夢」にすることで鉄道駅から文化・観光の発信拠点に転換するというのは、七音の同音異義を重ねることで五七から七五に転換する段駄羅の発想だろうか。
http://www.city.wajima.ishikawa.jp/yorankaine/furat.htm


ふらっと訪夢には御陣乗太鼓のショーを見にいった。御陣乗太鼓は石川県の無形文化財だけれど、私はよく知らなかったので日本各地の太鼓とそれほど変わらないだろうという程度の気持ちで見にいってみた。ところが、始まるや否や、異形の面を被った若い男たちが力強く太鼓を叩き、時おりミエを切りながら激しく太鼓を叩く様子は実に迫力に満ちたものだった。お面の不気味さと太鼓の迫力があわさって独特の世界を作り出していた。これを見るだけでも輪島に行く価値があると思うほど。DVDを販売していたので購入した。DVDも異様な世界を十分に見せてくれるけれど、でも生の太鼓の迫力にはやはりかなわない。
御陣乗太鼓【オフィシャルサイト】